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==来歴・人物==
[[岐阜県]][[中津川市]]生まれ。新制[[岐阜県立中津高等学校]]から[[東京大学]][[文学部]]英文科卒、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。はじめ[[詩人]]を目指していたが、米国セントルイスのワシントン大学に留学<ref>『亀井俊介オーラル・ヒストリー 戦日本における一文学研究者の軌跡』</ref>。

1963年東大教養学部助教授、84年教授、93年定年退官、名誉教授、[[東京女子大学]]教授、2003年[[岐阜女子大学]]教授。師の一人に[[島田謹二]]がいる。1971年に『近代文学におけるホイットマンの運命』で[[日本学士院賞]]を受賞している。
 
著書多数あり、アメリカ[[大衆文化]]に詳しく、性革命に関する著作もあり、『[[マリリン・モンロー]]』を出したときは、東大教授が[[岩波新書]]から出したというので話題になった。