「橋本忍」の版間の差分

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| 別名義 =
| 出生地 = {{JPN}}・[[兵庫県]][[神崎郡]][[鶴居村 (兵庫県)|鶴居村]]<br />(現:[[神崎郡]][[市川町]]鶴居)
| 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[世田谷区]]
| 国籍 = 日本
| 身長 =
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しかし[[1982年]]、脚本だけでなく製作、原作、監督もこなした東宝創立50周年記念映画『[[幻の湖]]』が、わずか1週間で興行打ち切りという憂き目にあう。その後も2本の脚本を書いたが、体調不良もあり、以後は事実上引退した状態が続いた。しかし体調回復に伴い、[[2006年]]に黒澤明との関係を語った著書『複眼の映像 私と黒澤明』を発表した。そして、[[2008年]]に[[中居正広]]主演でリメイクされることになった劇場版『[[私は貝になりたい]]』で、自らの脚本をリライトした。[[2000年]]、故郷である兵庫県市川町に「橋本忍記念館」がオープンした。
 
[[2018年]]7月19日9時26分、[[肺炎]]のため[[東京都]][[世田谷区]]の自宅で死去<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL7L6T15L7LUCLV022.html?iref=comtop_8_01 脚本家の橋本忍さん死去 「七人の侍」黒澤8作品に参加] - 朝日新聞デジタル 2018年7月20日</ref>。{{没年齢|1918|4|18|2018|7|19}}。
 
脚本の完成度の高さ、そのスタンスから同業者に最も尊敬されている脚本家のひとりであり、その影響は日本にとどまらず、世界中の製作者にも影響を与えている。