「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール」の版間の差分

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|画像説明=
|生年月日= [[1787年]][[11月18日]]
|生誕地= {{FRA987}} [[ヴァル=ドワーズ県]][[コルメイユ=ザン=パリジ]]
|没年月日= {{死亡年月日と没年齢|1787|11|18|1851|07|10}}
|死没地= {{FRA1848}} [[ヴァル=ド=マルヌ県]]{{仮リンク|ブリィ=シュール=マルヌ|en|Bry-sur-Marne}}
|著名な実績 = [[ダゲレオタイプ]]の発明
|署名 = Daguerre signature.svg
|署名サイズ =120px
}}
'''ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール'''(Louis Jacques Mandé Daguerre, [[1787年]][[11月18日]] - [[1851年]][[7月10日]])は、[[フランス]]の[[画家]]、[[写真家]]。史上初めて実用的な[[写真]]技術を完成した人物として知られる。
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写真の研究を行う前は、[[パリ]]で舞台背景画家・[[パノラマ]]画家・[[ジオラマ]]作家として活躍していた。
 
== 生涯 ==
 
ダゲールは、フランス初のパノラマ画家である{{仮リンク|ピエール・プレボ|en|Pierre Prévost}}に弟子入りし、建築、劇場の設計、およびパノラマ絵画を学んだ。彼は劇場にイリュージョンを作り出す技術に長け、演劇の有名デザイナーとして活躍した後、1822年7月パリに自分が発明したジオラマ劇場を開設した。
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1851年7月10日、ダゲールはパリから12km離れたシュールマルヌで死亡し、彼の墓もそこに建てられた。ダゲールの名前は、72名のうちの一つとして[[エッフェル塔]]に刻まれている。
 
== ジオラマ劇場 ==
[[File:Diorama diagram.jpg|right|thumb|200px|模倣者によってロンドンに建てられたジオラマ劇場の図面]]
[[File:The Ruins of Holyrood Chapel (Louis Daguerre), 1824 (Google Art Project).jpg|right|thumb|200px|ダゲールによって描かれた[[ホリールード寺院]]のジオラマ背景画]]
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「場面の印象の変化、人びとにもたらす気分の変化、そして様々な動きは、シャッターとスクリーンのシステムによって作り出された。それは描かれたイメージのそれぞれの部分を、背後から照明することが出来た。」(エスター・サルツァー)
 
そのサイズのため画面は固定式で、場面転換の際には観客席が回転した。観客席は円筒形で、額縁状の開口部が一つ設けられおり、これを通して観客は「シーン」を観るようになっていた。
観客数は約350だったと考えられる。基本的に立ち見で、一部に特別席が用意された。
21枚のジオラマ絵画が最初の8年の間に展示された。