「ゼネラル・エレクトリック J79」の版間の差分

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== 開発 ==
前作{{仮リンク|ゼネラル・エレクトリック J73|en|General Electric J73|label=J73}}を基に、[[マッハ数|M]]2級を狙った発展型J73-GE-X24Aの仮称で、[[1950年代]]初頭から開発着手された。[[亡命]][[ユダヤ人]]の主任設計者[[ゲルハルト・ノイマン]]([[:en:Gerhard Neumann|Gerhard Neumann]])は、小径化・小型化目的として、当時としても少数派となりつつあった単軸式を敢えて選択した。圧縮器静翼を全可動式とすることで必要な効率を確保、[[チタン|チタニウム]]合金の積極採用など意欲的に新技術に挑戦したため、実用化には比較的長時間を要した。
 
初の空中試験は[[1955年]][[5月20日]]に、4発[[爆撃機]][[ノースアメリカン]] [[B-45 (航空機)|B-45C]]の[[爆弾槽]]から吊下して行われ、主[[エンジン]]の [[ゼネラル・エレクトリック J47|J47]]を全停止し、J79単発のみで飛行した<ref>Pace 1992 p. 67.</ref>。実機への適用は、[[1956年]][[2月17日]]に初飛行した[[ロッキード]] [[F-104 (戦闘機)|YF-104A]]によってで、[[ライト J65|J65]]からの換装によりYF-104Aは、世界初のM2級[[戦闘機]]の名を航空史に刻んだ<ref>Pace 1992, p. 23.</ref>。また、同年、[[F4D (航空機)|XF4D-1]]の試作2号機がJ79の追加試験のため[[GE・アビエーション|GE]]に貸与され、元々は遷音速機の F4Dを水平飛行で音速突破させている<ref>Gunston 1981, p.71.</ref>。[[グラマン]] [[F-11 (戦闘機)|F-11F-1 タイガー]]でもJ79搭載の性能向上型が試作され、最高速度はM2に達した。
 
構造的に複雑かつ[[軽金属]]を多用した初期型は運転温度に制約が強く、前述のF-104はそれゆえに最高速度がM2に制限された([[推力]]にはまだ余裕があった)。のち一部[[鋼]]化されるなど生産合理化耐熱限界の向上が図られており、これを搭載した[[イタリア空軍]]のF-104Sや、[[F-4 (戦闘機)|F-4]]戦闘機においては、最高速度はM2を越えている。以降30年以上に渡り、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のみならず[[ベルギー]]、[[カナダ]]、[[西ドイツ]]、[[イスラエル]]、[[イタリア]]、[[日本]]においても、総計17,000基以上が生産された。
 
イスラエルにおいては、[[ネシェル (航空機)|ネシェル]]([[ミラージュ5 (航空機)|ミラージュ5]]の無断コピー機)の改良型である[[クフィル (航空機)|クフィル]]の搭載エンジンに採用された。ネシェルの[[スネクマ アター|アター9]] エンジンと同程度のサイズ・重量でありながら、推力と燃費効率の双方に優り、その高性能を示した。また、[[アメリカ軍]]の初期の[[超音速機]]に採用された[[プラット・アンド・ホイットニー JT3C|J57]] エンジンとの比較では、より小型でありながらなおかつ推力に優っていた。[[F-8 (戦闘機)|F-8]]戦闘機のエンジンをJ57からJ79に換装した改良型であるV-1000は、制式採用はなされなかったが、その高性能を高く評価されている。
 
欠点としては、特定の回転域で共振による独特の騒音を発し、また、濃く視認性の高い排気煙が戦場における脆弱性を高めることが[[ベトナム戦争]]時の戦訓で判明している。
 
また、[[コンベア]]([[ジェネラル・ダイナミクス]])の要請で[[コンベア880]]向けに開発した民生版'''CJ-805'''は、高価な耐熱[[金属]]の使用量を減じたためホットセクションが溶解するトラブルが多発し、燃費も悪く整備も困難で不評を極めた。CJ-805は[[シュド・カラベル]]のアメリカ向け原型機1機にも使用されているが、燃費向上策でアフトファン(aft-fan, 簡易[[ターボファン]])化された'''CJ-805-23'''は、搭載機[[コンベア990]]が少量生産に留まり普及しなかった。また、戦闘機用途でも、[[プラット・アンド・ホイットニー TF30|P&W TF30]]以降[[アフターバーナー]]付超音速ターボファンが実現したことで、単軸式の限界に挑戦したJ79はまもなく斜陽化した。
 
とはいうものの、[[1970年代]]末においてもエンジンをJ79に換装した[[F-16 (戦闘機)#採用されなかった派生型機|F-16/79]]が開発されるなど、かなり後の時代になってもなお当エンジンは高い評価を維持していた。これは[[ノースロップ]] [[F-5 (戦闘機)#F-5E/F|F-5E/F]]の後継機となるして提案された[[開発途上国|途上国]]向け戦闘機であり、いわばF-16の言わばダウングレードバージョン([[モンキーモデル]])ではあるが、いまだ第一線の戦闘機用ジェットエンジンとして通用する事を示した。ただし、この機体は、通常の新型エンジンを搭載した純正のF-16の輸出が解禁された事により、試作のみに終わった。
 
J79の開発、およびF-104が達成した数々の新記録により、[[1958年]]ノイマンとGEは[[コリヤ・トロフィー]]([[:en:Collier Trophy|Collier Trophy]])を授与され、更にF-104設計者の[[クラレンス・ジョンソン]]や[[アメリカ空軍]]と共に、ダブル受賞している<ref>[http://www.naa.aero/html/awards/index.cfm?cmsid=155 Collier Trophy winners, 1950-1959] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081211200939/http://www.naa.aero/html/awards/index.cfm?cmsid=155 |date=2008年12月11日 }}, National Aeronautic Association. Retrieved: 7 April 2008</ref>。