「お昼のワイドショー」の版間の差分

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*1976年9月にスタート当初から8年間、青島のアシスト役を務めてきた中山がテレビ出演撤退・政治活動への進出を理由に、次いで翌1977年4月には参院選出馬の準備の名目から八代も相次いで番組を降板。残った青島も、政治活動へと参加するようになった中山・八代の指南役を買って出ていた事情から、1977年以降は番組を欠席する機会が増えて行き、1979年9月をもって司会を勇退(但しその後も「あなたの知らない世界」や「女の事件」の常連コメンテーターの一人として番組には最末期まで参加していた)。
*その後、しばらくの間はサブ司会の落語家の志ん馬・[[神山喜久子]](当時日本テレビアナウンサー)コンビによる司会で放送が行われたが、翌1980年4月より「体操のお兄さん」として有名だった[[砂川啓介]]が新たなメイン司会者として起用され、最後の1年半は元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサーの[[生方恵一]]が司会となった。
*日本テレビでは昼-午後枠のテコ入れとして本番組と後に続く『[[ごちそうさま (テレビ番組)|ごちそうさま]]』、『[[2時のワイドショー]]』(よみうりテレビ製作)、『[[酒井広のうわさのスタジオ]]」を統合し、1987年10月から『[[午後は○○おもいッきりテレビ]]』をスタート。これにより、番組は19年の歴史に幕を下ろした。最終回は番組の顔だった青島、砂川らの歴代司会者や番組に携わった人が生出演、過去の事件や当番組の映像、そして正月特番『[[番組対抗かくし芸大会]]』に出演した時の映像で過去を振り返った。最後エンディングで後継番組『おもいッきりテレビ』の初代キャスター・[[山本コウタロー|山本厚太郎]]と[[泰葉]]が出演し<ref>この時『おもいッきりテレビ』のテーマ曲(作曲 - [[宮川泰]])が初めて使用された。</ref>、同番組をPR。の後、生方が視聴者に向け感謝の言葉を述べ、ラストは「19年間 どうもありがとうございました…」のテロップが表示されて大団円となった。
*新聞のテレビ欄は文字数が限られていることから、こちらではほぼ毎回「ワイドショー」のみ記していた。
*番組は19年続いたが、タイトルロゴや番組テーマ(作曲者不明)は一貫して変わらなかった。