「嘉門タツオ」の版間の差分

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+出演番組、+出典、+外部リンク。単発出演でしかないAKBの番組とほくそう春まつりを除去(PJ:ENTAME#記事の書き方参照)
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{{存命人物の出典明記|date=2013年6月}}
{{雑多な内容の箇条書き|date=2008年11月|ソートキー=かもんたつお}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキ プロジェクト :音楽家を参照 -->
| Name 名前 = 嘉門 タツオ
| Img 画像 =
| Img_capt 画像説明 =
| Img_size 画像サイズ = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background 背景色 = singer<!-- singer/group/bandなど -->singer
| Birth_name 出生名 = 鳥飼 達夫<!-- 個人のみ --><!-- 出生時のが公表されている場合にのみ記入 -->鳥飼 達夫
| Alias 別名 = 笑福亭 笑光、嘉門 達夫
| Blood 出生 = <!-- 個人のみ -->A型{{生年月日と年齢|1959|3|25}}
|出身地 School_background = <!-- 個人のみ -->= {{JPN}} [[大阪府立春日丘高等学校]][[茨木市]]
| Born 死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と年齢|1959XXXX|3XX|25XX|YYYY|YY|YY}} -->
| Died 学歴 = <!-- 個人のみ -->[[大阪府立春日丘高等学校]]卒業
| Origin ジャンル = {{JPN}} [[大阪府歌謡曲]]<br />[[茨木市コミックソング]]
| Instrument 職業 = <!-- 個人のみ -->[[シンガカル]]<br />[[ギソングライター]]
|担当楽器 Genre = <!-- 個人のみ = -->[[歌謡曲ギター]]<br />[[コミックソングボーカル]]
|活動期間 =
| Occupation = <!-- 個人のみ -->[[シンガーソングライター]]
|レーベル = [[クラッチ.]]
| Years_active = [[1975年]] - [[1980年]]([[落語家]]時代)<br />[[1983年]] - 現在
| Label 事務所 = [[さくら咲く]]<br />クラッチ.]](業務提携)
| Associated_acts 共同作業者 = [[新田一郎 (ミュージシャン)|新田一郎]]<br />[[中町俊自]]<br />[[アンジー|水戸華之介]]<br />[[Tops (バンド)|工藤隆]]
| Production = [[さくら咲く]]<br />クラッチ.(業務提携)
| URL 公式サイト = [http://www.sakurasaku-office.co.jp/kamon/ 嘉門タツオオフィシャルサイト]
| Associated_acts = [[新田一郎 (ミュージシャン)|新田一郎]]<br />[[中町俊自]]<br />[[アンジー|水戸華之介]]<br />[[Tops (バンド)|工藤隆]]
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|旧メンバー = <!-- グループのみ -->
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| Notable_instruments =
}}
 
'''嘉門 タツオ'''(かもん たつお、男性、[[1959年]][[3月25日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]である。[[大阪府さくら咲く]][[茨木市]]出身、[[ABO式血液型|血液型]]はA型、所属。本名は'''鳥飼 達夫'''(とりかい たつお)、個人事務所[[さくら咲く大阪府]][[茨木市]]出身。血液型は[[ABO式血液型|A型]]。2008年に49歳で<!--43歳女性と-->結婚<!--出演者お休みのお知らせ
原田伸郎のびのび金ようび11月27日(金)パーソナリティの原田伸郎が番組を休みます。⇒嘉門達夫さんが代役を務めます。https://archive.is/cSZuO-->。
 
== 略歴 ==
*[[1959年]][[3月25日]]に[[大阪府]][[茨木市]]で生まれ、[[茨木市立中条小学校]]、[[茨木市立養精中学校]]、[[大阪府立春日丘高等学校]]を卒業する。小学校6年時に[[日本万国博覧会]]が開催され、足繁く通い[[ピンズ|ピンバッジ]]を64個収集してクラス3位となる。中学時代にギターを演奏始め、[[あのねのね]]に影響を受けてテープに自作曲を録音する。高校時代は[[笑福亭鶴光]]への弟子入りのため、3年時に友人と自主制作映画の撮影に没頭する。
*[[1975年]] - 大阪府立春日丘高等学校在学中の16歳で、友人が運転する[[ホンダ・カブ|カブ]]で鶴光を追跡して弟子入りを志願し、当時27歳の笑福亭鶴光へ弟子入りするも、在学中であることから鶴光の勧めもあり、放課後に師匠の家へ行く「通い弟子」を務めた。高校卒業後に鶴光邸へ住み込んで二番弟子として“'''笑福亭 笑光'''”(しょうふくてい しょうこ)の名を授かり、所属[[芸能事務所|事務所]]は[[松竹芸能]]となる。同期の芸能人は[[田辺エージェンシー]]所属の[[タモリ]]で、彼とは後に『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』で共演する[[タモリ]]がいことになる。
*[[1978年]] - 『[[MBSヤングタウン]]』(以下ヤンタン)にレギュラー出演する。
*[[1980年]] - 師匠の笑福亭鶴光へ一切報告せず落語以外の新しい仕事を増やし、自身がやりたい事と落語家の弟子と言う立場が乖離し、師匠と仕事観を巡って対立して反旗を翻したため笑福亭鶴光から[[破門#芸能界|破門]]を宣告される。同時に松竹芸能から専属契約を解除されて担当番組も全て降板する。「自らを見つめ直す」として日本放浪へ旅立ち、[[与論島]]やスキー場でアルバイトをしながら[[コミックソング]]の面白さを認識する。
*[[1981年]] - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃にスキー場で作った曲が[[アミューズ]]の[[大里洋吉]]会長に評価され、アミューズの契約社員として[[サザンオールスターズ]]の「[[チャコの海岸物語]]」を関西地区の[[有線ラジオ放送|有線ラジオ]]などへ営業する。この縁でサザンのコンサートの打ち上げなどにも参加し、バンドでフロントマンを務める[[桑田佳祐]]と親しくなる。[[所ジョージ]]の芸名は[[宇崎竜童]]が命名したことを聞き、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼すると、当初は桑田が“カメリア・ダイヤモンド”を挙げるが嘉門が却下し、桑田が別の活動時に使用していた“[[嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!|嘉門雄三]]”の苗字を譲り受け、“'''嘉門 達夫'''”を名乗る<ref>[http://thepage.jp/detail/20130818-00010000-wordleaf <私の恩人>嘉門達夫 名付け親は桑田佳祐さん 「サザン」の曲も好きに使っていいと許された][[THE PAGE]]2013年8月18日</ref>。のちにヤンタンへ復帰する。
*[[1982年]] - 10月 「[[寿限無]]NONo.1!」([[森雪之丞]]プロデュース)を[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]から発売し歌手デビューする。
*[[1983年]] - シンガーソングライターデビューし、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース。当初は自主制作盤であったが、少しずつ話題を獲得し7月にコロムビアレコードより発売され、[[USEN|大阪有線]]が主催する[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]有線放送大賞と[[キャンシステム]]が主催する[[TBSテレビ|TBS]]有線大賞で新人賞を受賞する。
*[[1984年]] - 6月 『[[水曜スペシャル#川口浩探検隊シリーズ|水曜スペシャル 川口浩探検隊]]』のヤラセ演出を皮肉った「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」を発売する。
*[[1989年]] - 7月 [[代官山プロダクション]](以下代プロ)へ移籍し、[[日本コロムビア]]から[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]]へ移籍する。
*[[1991年]] - 「[[替え唄メドレー]]」が82万枚<ref name=hochi>[http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/entertainment/20070925-479958/news/20080610-OHT1T00158.htm [長寿のヒミツ]音楽と笑い融合嘉門達夫バカソング一筋25年]、[[スポーツ報知]]、2008年6月10日。</ref>を売り上げて自身最大のヒット曲となる。
*[[1992年]] - 『[[第43回NHK紅白歌合戦]]』に「[[替え唄メドレー|替え唄メドレー〜紅白バージョン]]」で出場する。
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*[[1997年]] - ビクターから代プロの自社ブランド[[DAIPRO-X]]へ移籍し、移籍第1弾「新・替え唄メドレー」を発売する。
*[[2000年]] - トレードマークのオールバックを黒髪から金髪へとイメージチェンジする。
*[[2002年]] - 「ガッツ石松伝説」を発売した。2年後の[[2004年]]に「[[伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜]]」を発売した[[はなわ]]が盗作を疑義された。
*[[2003年]] - 4月 デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』を発売する。
*2003年 - 6月 初のDVDメディア作品『達人伝説』を発売する。
*[[2005年]] - 1月5日 [[アポロ・シアター]]で「アマチュアナイト」に出演する。当時流行の『[[ラストサムライ]]』と『[[キル・ビル]]』からサムライ姿で[[切腹]]を[[パントマイム]]した後にギターで[[ブルース]]を歌う予定が、歌に入る前のパフォーマンスで[[ブーイング]]を受け退場する。
*2005年 - 1月 コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション1983〜1989-』を発売する。
*2005年 - 4月 [[東京都立翔陽高等学校]]校歌「はばたけ!未来へ」の作詞と作曲を担当する。
*[[2006年]] - 7月 [[GyaO!#GyaO|GyaO]]の『[[嘉門達夫のナリキン投稿天国]]』で派生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う「恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!」を発売する。
*[[2008年]] - 同年6月現在時点での、シングルとアルバムを合わせて累計売上が847万枚なる<ref name=hochi />。
*2008年 - 11月30日に結婚。当時嘉門は49歳、相手の女性は43歳であった。披露宴と結婚報告会見については2009年2月に行った<ref>{{Cite web |url=https://beauty.oricon.co.jp/news/63120/full/ |title=嘉門達夫夫妻が2ショットで結婚報告会見|最新ニュース|eltha(エルザ) |publisher=[[オリコン]] |date=2009-02-15 |accessdate=2018-07-22}}</ref>。
*[[2009年]] - 9月 個人事務所「さくら咲く」を設立して独立する。同月に所属していた代官山プロダクションが倒産している。この頃よりギターを[[高峰楽器製作所|Takamine]]から、[[ヤイリギター|K.Yairi]]のカスタムメイドギターへ変える。
*[[2010年]] - 5月 上海万国博「[[日本産業館]]」応援団長に就任する。
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== ディスコグラフィ ==
{{Notice|ディスコグラフィ関連のトリビアは、一度'''[[ノート:嘉門達夫|ノート]]'''で存在の疑問を呈された後に削除されています。トリビアの再加筆をお考えの方は、編集に入る前にまずは'''[[ノート:嘉門達夫|ノート]]'''をご覧ください。必要があれば'''[[ノート:嘉門達夫|ノート]]'''で議論を起こしてください。|お知らせ|attention|section=1}}
=== シングル ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
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!33rd
|[[2016年]][[12月21日]]
|'''[[食のワンダーランド〜食べることは生きること〜其の壱]]'''
|
|-
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== 著書 ==
* お嬢さま99の謎 玉の輿にのるための攻略法』嘉門達夫とニセモノクラブ(1986年、[[ワニブックス]]、ISBN 4-8470-3019-2) - 「嘉門達夫とニセモノクラブ」名義で上梓。
* 日常〜COM'ON!超B級娯楽世界〜(1986年、[[大阪書籍]]、ISBN 4-7548-9018-3)
* 小市民ハンドブック(1989年、[[勁文社]]、ISBN 4-7669-0897-X)
* 嘉門達夫の中学生日記 いつでも思春期(1999年、[[毎日新聞社]]、ISBN 978-4-620-31344-3)0)
* 嘉門達夫の美味すぎ!ニッポン旅ガラス〜旅で出会った人と味〜(2004年、TOKIMEKIパブリッシング、ISBN 4-04-894527-0)
* た・か・く・ら(2007年、[[扶桑社]]、ISBN 978-4-594-05538-7) - 初の小説。この作品は『余命3ヶ月を、生きる』と題してテレビドラマ化され、2011年3月26日に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送。[[陣内孝則]]が嘉門達夫役を演じた。
* 丘の上の綺羅星(2015年、[[幻冬舎]]、ISBN 2015978-4-344-02832-6)
 
== 出演 ==
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* ぼくらは怪しいサラリーマン(1983年11月 - 1984年3月、[[MBSテレビ|毎日放送]])
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]] (1987年12月 - 1988年10月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[探偵!ナイトスクープ]](1988年3月 - 1990年3月、[[ABC朝日放送テレビ|朝日放送]])
* [[SUPER WEEKEND LIVE 土曜深夜族]](1988年4月 - 1989年1月、[[TBSテレビ|TBS]])
* [[ラジオDEごめん]](1988年10月 - 1991年3月、[[中京テレビ放送|中京テレビ]])
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* [[嘉門達夫の生ネタ道場]](2007年5月 - 10月、[[ひかり荘]])
* 関西魂(2011年7月 - 2011年12月、[[テレビ大阪]])
* [[ピラメキーノ|ピラメキーノ → ピラメキーノ640]] (2011年8月 - 2015年6月、[[テレビ東京]])
* [[ピカルの定理]](2012年4月 - 2013年9月、フジテレビ)
* [[朝生ワイド す・またん!]] (2017年1月 - 、[[読売テレビ]]
 
=== テレビドラマ ===
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* [[ドラマ23]] あ〜あ小市民(1989年、TBS)
* [[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]] 別の愛(1990年、[[NHK大阪放送局]])
* [[ドラマチック22]] 夫婦2組あぶない同居 2 (1990年6月16日、TBS)
* [[Shin-D]] ア・オ・ゾ・ラ・マ・ー・ジ・ャ・ン(1999年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - ブレイク前の[[堺雅人]]、[[田中美保 (モデル)|田中美保]]との共演。
* [[双子探偵]] 第12話(1999年10月2日、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])
* Shin-D 六本木野獣会 第4話(2001年7月2324=23日深夜、日本テレビ)
 
=== ラジオ番組 ===
ここではレギュラーでの出演経験がある番組のみを列記する。
* [[MBSヤングタウン]](笑福亭笑光名義:1978年4月 - 1980年9月、嘉門達夫名義:1982年10月 - 1992年9月、[[MBSラジオ]])
* 鳥飼達夫と[[桂雀々]]のザ・フレッシュ(1981年11月 - 1982年3月、MBSラジオ) - 前述したアミューズの契約社員時代に、芸能界への再デビュー番組として本名でレギュラー出演。
* [[嘉門達夫のカラードレコード]](1984年10月 - 1986年3月、[[エフエム大阪|FM大阪]])
* [[嘉門達夫のMay I Help You?]] ([[文化放送]]『[[吉田照美の夜はこれからてるてるワイド]]』内)
* [[カモンレッツゴー]](1985年10月 - 1986年3月、[[新潟放送|BSNラジオ]]・[[HBCラジオ]])
* [[ロッテヤンスタNo1]] (1985年10月 - 1988年6月、[[ニッポン放送]])
* [[嘉門ザ・ナイト・大江戸アドヴェンチャー]](1986年10月 - 1987年3月、ニッポン放送)
* カモンアイドル(ニッポン放送)<ref name="ニッポン放送">{{Cite web |author=嘉門タツオ |date=2008-06-29 |url=https://ameblo.jp/kamontatsuo/entry-10111159500.html |title=ニッポン放送 |accessdate=2018-07-22}}</ref>
* [[嘉門・[[BaBe]]のハロームービー[[コミュニケーションカーニバル 夢工場'87|夢工場]](1987年4月 - 1987年9月、ニッポン放送)<ref name="ニッポン放送" />
* [[マツダ|MAZDA]]・[[ウィークエンドパーティー]](MBSラジオ)
* [[カモンコンピュート]](FM大阪)
* [[嘉門達夫のオトカモンの目]]ンピュート(FM大阪)
* 嘉門達夫のオトコの目(FM大阪)
* [[カモン!タツオ・ワールド・エンターテインメントショー]](1991年4月 - 1993年3月、[[全国FM放送協議会|JAPAN FM NETWORK]])
* [[爆裂スーパーファンタジー]](関東・近畿・中京:1993年4月 - 1996年3月、青森・広島: - 1998年3月、その他の地方: - 1998年6月、JAPAN FM NETWORK)
* [[嘉門達夫のネットでごめん!]] (2001年4月 - 2003年12月、[[ラジ@]])
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* [[嘉門達夫のどんなんやねん!]] (2013年4月 - 2014年3月、MBSラジオ) - 「嘉門達夫」としてのメジャーデビュー30周年記念企画の一環で、『嘉門達夫のと上ちゃんのどんなんやねん!』を金曜夕方のワイド番組化。
* 嘉門達夫のゴー!ゴー!カモン!! (2014年5月 - 2016年3月、[[中央エフエム]]・[[やおコミュニティ放送|FMちゃお]]・[[エフエムまつもと]]・[[高知シティエフエムラジオ放送|高知シティFM]])
* [[上泉雄一のええなぁ!]] 金曜日(2014年4月 - 、MBSラジオ) - 『嘉門達夫と上ちゃんのどんなんやねん!』でパートナーを務めてい[[ちゃん」泉雄一]][[毎日放送]][[アナウンサー]]・[[上泉雄一]])の[[冠番組]]。『嘉門達夫のどんなんやねん!』の終了を機に、月に1回のペースでスペシャルパートナーとして出演。
* [[東海ラジオミッドナイトスペシャル|嘉門達夫のナゴヤ DE ゴメン!]]<ref>2017年3月25日の「嘉門タツオ」改名にともない、3月31日の最終回は「嘉門タツオのナゴヤ DE ゴメン!」の番組名になっていた。</ref>(2016年4月1日 - 2017年3月31日、[[東海ラジオ放送|東海ラジオ]])
* Come On! カモン! カモン! (2017年10月7日 - 、[[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]])
 
=== CM ===
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* 日清ラーメンこってりんこ(1994年、[[日清食品]]) - [[ROLLY|ローリー寺西]]、[[牧伸二]]との共演。
* [[サークルKサンクス|サークルK]] (1996年)
* 岩下の新生姜(1996年頃<ref>岩下食品代表取締役の発言より。{{Cite tweet |user=shinshoga |number=97642248258338817 |title=15年ほど前の、そのTVCMは、私は立ち会わなかったのですが、嘉門達夫さんはマシンガンのような早口で新生姜に関するうたをギター弾き語り。ワンテイクでOKだったとか。出演はなくても、歌は誰もがわかる嘉門節。名人芸でした。 |date=2011年7月31日 |accessdate=2018-07-22}}</ref>、[[岩下食品]]) - 声のみの出演。
* 岩下の新生姜([[岩下食品]]) - 声のみの出演。
* 40MELOMiX (2003年、[[ドワンゴ]])<ref>{{Cite web |url=https://www.oricon.co.jp/prof/196942/cm/ |title=嘉門タツオのCM出演情報 &#124; ORICON NEWS |publisher=[[オリコン#企業グループ|oricon ME]] |accessdate=2018-07-22}}</ref>
* [[海遊館]](2005年7月 - 2006年1月<ref name="公式プロフィール" />)
* 近畿 [[Honda Cars店|Honda Cars]] (2007年2月 - 3月<ref name="公式プロフィール" />) - 声のみの出演。
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=== その他 ===
<!--単なるゲスト出演、それも単発出演だと分かるものについては除去しました。[[PJ:ENTAME#記事の書き方]]参照。-->
* [[ミスター味っ子]](1987年10月 - 1989年9月、[[サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ]]・テレビ東京) - 音楽を担当。また、第28話「激闘!大阪城・カレー丼春の陣」ではアナウンサー役を務めた。
* [[バットマン|電光石火アミューズシアター・バットマン]](1990年、テレビ東京) - [[ペンギン (バットマン)|ペンギン]]役(日本語吹替)
* 嘉門達夫のよくわかるシリーズ vol.1 - vol.7 (1991年11月21日 - 1992年5月25日発売、[[代官山プロダクション]]・[[アミューズソフトエンタテインメント|アミューズビデオ]])
* [[ジャイアント・ピーチ]](1996年、[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]) - ムカデ役(日本語吹替)
* カモン!関門キャンペーン(2005年10月 - 2006年3月、[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]) - 「カモン!関門行進曲」というキャンペーンソングの制作も手掛けた。
* [[CR嘉門達夫のたのしい昔話]](2007年、[[ニューギン]])
* ゆけ!ゆけ!平清盛!! (NHK『[[大河ドラマ]] [[平清盛 (NHK大河ドラマ)|平清盛]]』広島県推進協議会公式ソング)
* [[AKBと××!]] (2010年・[[読売テレビ]])
* [[中京テレビ放送|中京テレビ]] 秋の改編キャンペーンキャラクター(2012年)
* [[みんなの祭り 無礼講]] イベントMC (2010年 - )
* [[中京テレビ放送|中京テレビ]] 秋の改編キャンペーンキャラクター(2012年)
*春の北総祭り2017
 
=== NHK紅白歌合戦出場歴 ===
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* [[上岡龍太郎]]
* [[神谷明]] - ベテラン声優の一人。当時嘉門が『ヤンタン』に出演していた頃、同じく神谷が『オールナイトニッポン』で「ギネスに挑戦!」というコーナーをやっていたため、嘉門もその当時は同じようなコーナーをやっていたことから、互いの番組投稿者の縁で親交を持つ。
* [[川口浩 (俳優)|川口浩]] - ヒット曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」は[[水曜スペシャル]]の人気コーナー「川口浩探検隊シリーズ」をテーマにしたもの。嘉門達夫が承諾を得るために交渉に行ったところほぼOKをもらえたが唯一「([[ピラニア]]に)噛まれた腕はいったい誰の腕なんだろう?」という歌詞に「あれは私の腕なんです」と主張し、その部分のみ歌詞が差し替えになった。
* [[北野誠 (タレント)|北野誠]]・[[桂雀々]] - 同世代の友人で、過去に3人で組んでラジオ番組を務めていた。北野は嘉門のいくつかの楽曲にネタを提供。
* [[北山修]] - 嘉門の替え歌を医学的見地から体にいいと分析。北山のほうから嘉門とのジョイントを申し出た。「真夏のカモン!EXPO!」にもゲスト出演していた。この日、[[フォークル]]の代表曲のひとつである「[[あの素晴しい愛をもう一度]]」の替え歌「あのすさまじい部屋を掃除しろ」を嘉門とともに熱唱した。
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== 外部リンク ==
* [http://www.sakurasaku-office.co.jp/kamon/ 嘉門タツオオフィシャルサイト]
** {{YouTube|channel = UC4sJvvrvmVlv2Pe1AMtCBMw|嘉門タツオ 公式チャンネル}}
** [http://ameblo.jp/kamontatsuo/{{Ameba ブログ|kamontatsuo|嘉門達夫オフィシャルブログ 冷やし中華はじめましたか?(?(知らんガナ!)] - 2008!)}}:2008年2月20日、までは[[casTY]]から[[に開設されていたが、サイトの閉鎖に伴ってアメーバブログ]]へ移行。
* [http://gree.jp/kamon_tatsuo/ 嘉門タツオ 公式ブログ] - [[GREE]]
** {{Twitter|kamontatsuo|嘉門タツオ}}
** {{Facebook|tatsuo.torikai|鳥飼 達夫}}
* [{{Wayback |url=http://c.filesend.to/plans/yuigon/body.php?od=20100112.html |title=嘉門達夫氏(シンガー・ソングライター) 早川さや香のプロフェッショナルの唯言(ゆいごん) 第11回 嘉門達夫氏] - 宅ふぁいる便 |date=20100120063756}}:嘉門へのインタビューを掲載。
* [http://japan.wikia.com/wiki/%E6%9B%BF%E3%81%88%E5%94%84%E3%83%A1%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BD%BF%E7%94%A8%E6%9B%B2%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 替え唄メドレー使用曲の一覧] - [[ウィキア|wikia]]
* {{Wikia | japan | FANDOM powered by Wikia |替え唄メドレー使用曲の一覧}}
 
{{嘉門タツオ}}
1,054 ⟶ 1,056行目:
{{DEFAULTSORT:かもん たつお}}
[[Category:日本の男性シンガーソングライター]]
[[Category:日本のコレクター]]
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本のラジオパーソナリティ]]
[[Category:日本のコレクター]]
[[Category:元落語家の人物]]
[[Category:過去の松竹芸能所属者]]