「正田耕三」の版間の差分

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== 人物 ==
=== 練習量 ===
高橋とともにチームの中でも屈指の猛練習を積み、{{by|1987年}}の[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]では高橋が2万本の素振りを行えば正田は倍の4万本をこなした<ref name="base_19880613_85" />。また、シーズン中も広島でのナイトゲーム終了後には[[西区 (広島市)|西区]]三篠町の合宿所練習場、または[[大野町 (広島県)|大野町]]の屋内練習所のいずれかで[[ピッチングマシン]]相手の打撃練習を毎日深夜に行なっていた。{{by|1988年}}の[[湯布院]]での自主トレ終了後には、200折の[[温泉饅頭]]を持ってそれぞれの練習場の近所の家を回って騒音を詫びた<ref name="ochi">[[越智正典]]『二番打者物語』ダイヤモンド社、1995年、P.20</ref>。[[1988年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1988年のオールスターゲーム]]出場が決まった際にはその間の練習時間が減ることを心配するほど<ref name="base_19880801_39" />で、一時はコーチから練習を止められることもあった<ref name="base_19981221_12" />。
 
首位打者を獲得してからも左打ちを磨くためビジターでも午前中に打ち込んでから球場入りし、ホームではさらに球場での早出特打を行っていた<ref name="base_19891016_125" />。素質を補うために練習を重ね、現役晩年の{{by|1996年}}でも球界屈指の練習量だった[[金本知憲]]や緒方に負けない数のスイングをこなした<ref name="base_19961223_56">『週刊ベースボール』1996年12月23日、P.56</ref>。