「小林正彦」の版間の差分

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* 石原プロが巨額の借金を抱え倒産が噂された1972年頃、借金返済のための3億円を小林がかき集めた。以降も小林が陣頭指揮を執り、石原プロの安定経営の為に豪腕をふるった。[[西部警察]]シリーズでのスポンサータイアップが有名である。
* 1981年、石原裕次郎が動脈瘤から奇跡的に一時回復した際、入院先の慶應病院屋上から集まったファンやマスコミ関係者に手を振るという演出があったが、その演出は主に小林が提案したものだった。
* 1984年、石原裕次郎に肝細胞がんが発見された際、一番最初に医師から告知を受けている。兄の[[石原慎太郎]]は裕次郎にがん告知すべきだと主張したが、小林は断固反対し、裕次郎は告知されることなく亡くなった。
* 渡哲也に[[日本放送協会|NHK]]から[[NHK大河ドラマ|大河ドラマ]]「[[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉]]」の出演オファーがあった際、小林は「大河ドラマで一度途絶えた<ref>かつて「[[勝海舟 (NHK大河ドラマ)|勝海舟]]」の主演を病気で途中降板した</ref>渡哲也の完全復活は大河ドラマでしか有り得ない」と考え、渡の出演を絶対に成功させるべく、普段はプライベートを公に語らない渡を説得し、[[毎日新聞]]の1年間インタビュー連載へとこぎつけた。これらの顛末は、その連載記事の単行本である「渡哲也 俺」(毎日新聞社刊)に詳しい。