「間寛平」の版間の差分

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* 妻・光代とは仲が良く、50歳を過ぎているのに[[こたつ]]に入りながらふざけて互いの足を蹴り合って遊んでいたところ、妻が足をぶつけて骨折した事があり、さんまに「ええ歳して何してんの?」と呆れられた。また、21時前になると妻が2時間ドラマを観たいために、[[わらび餅]]とお茶を出してきて「これを食べて寝ろ」という合図を出される。
* 母親と顔がそっくりである。ただし、本人は性格も含めて実の父親に似ているなと、[[ファミリーヒストリー]]で実父の過去の調査結果を聞いた時に語っている。
* [[2006年]][[2月24日]]に長女が初孫を出産。当時56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。
* 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。[[明石家さんま]]、[[島田紳助]]、[[村上ショージ]]、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]、[[雨上がり決死隊]]も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。特にさんまは当時大忙しだったにもかかわらず、寛平がスパルタスロン[[マラソン]]を走る番組で、「兄さんのためなら」と付き添いのために(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出されたものであった)、無理やり10日間スケジュールを開けたことがある。また『[[マジカル頭脳パワー!!]]』で共演した[[所ジョージ]]や[[千堂あきほ]]などからも信頼されている。
* 持ちネタは古いものでは何十年も同じものを使い続けており、ネタをしても滑るのが慣例となっている。
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=== 東京進出 ===
* 東京で頑張りたいと独立を考えた(本人曰く、仕事先の宿の[[畳]]の目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとの理由で東京で頑張りたい。ま独立を考え時に<ref>寛平自身は妻に相談なしでのせずに決断だったが、妻は文句を言わず送り出した)時に</ref>、当時、吉本の社員だった[[木村政雄]]に懸命に説得され慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった同時に[[吉本新喜劇]]を退団するしたなお、寛平は東京に吉本の事務所があるのを知らなかったらし
* 東京進出の理由として、アメマバッジの件(後述)も関わっ係していたとの話もある(<ref>『[[いつみても波瀾万丈]]』より</ref>。東京では[[萩本欽一]]に師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。
* 吉本新喜劇を退団し上京、東京で仕事を探すも、関東での知名度が低いため苦労する。そんな時に妻から萩本の所へ行けと言われ、寛平が萩本の所へ行き助けを求めた。寛平との面識がなかった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。のちに萩本は「妻と一緒に来ていたら断っていた」と語っている<ref>[[中居正広の曜日のスマイルたちへ|中居正広の金曜日のスマたちへ]]より</ref>
 
=== 借金・アメマバッジ関連 ===
* 生来、お人好しと無知が災いして次々と他人の借金の連帯[[保証人]]になってしまう。付いたあだ名は「歩くハンコ屋」。他にアメマバッジの失敗により6000万円(「<ref>『[[さんまのまんま]]」で』にゲスト出演したに自身が明かした。</ref>の借金を背負うが、妻の光代が必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある<ref>光代夫人が『[[いつみても波瀾万丈]]』で光代がゲスト出演した時に明らかになった。</ref>。普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが<ref>但し、[[任意整理]]や[[個人再生]]の場合でも借入履歴の状況次第で利子が免除される事もある。</ref>、当時、寛平も売れ出し始めたこともあり、寛平自身が家族を養う事が厳しかった事から、光代が必死に訴えた努力の甲斐が実り、利子を免除することができた(現在は完済)。
* アメマバッジの件では、[[バッジ]]を製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称'''「アメマ裁判」''')。この口頭尋問で、[[裁判官]]から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア〜メマァ〜…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア〜メマァ〜…』です」と答えた。このやり取りが尋問中何回も繰り返され、法廷内全体を爆笑させたのは裁判でも過去に例がない語り草となっている。なおアメマバッジは、『[[いつみても平平凡凡]]』に出演したゲストにプレゼントされ、『[[痛快!明石家電視台]]』では会場の観客に<ref>最初は観客全員にもらえたが、後に抽選で観客全員にもらえる方式に変わった。</ref>、さらに『[[進め!クリフハンガー冒険隊]]』では出演した親子全員にプレゼントされていた。
* 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『[[世界バリバリバリュー]]』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、2万5,501円で落札された(元の売り値1500円)。これを作った当時は「ICが入っているから高い」と聞かされていた寛平だが、実はICは入っていなかった。
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== バラエティ番組でのエピソード ==
* 『[[マジカル頭脳パワー!!]]』のコーナー「マジカルアート」で、動物には鳥の足しか使わないなど毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描き(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で出演を2回分休止<ref>1994年11月3日・10日放送分。その回の代役は2回とも事務所の後輩である[[今田耕司]]・[[東野幸治]]がペアで担当した。</ref>してまで絵の勉強のためにフランスに[[留学]]した。しかし復帰第1回した[[1994年]][[11月17日]]放送分でシロクマを指示されたものの、今までの癖は直っていなかった(おらず誰も解答できずパスとなり不正解という始末で、答えを見た際[[千堂あきほ]]「分からへんがな!どこがクマや!」と珍しく関西弁で突っ込みを入れるほどであった。)。現在も後に『痛快!明石家電視台』の中の素人参加のクイズコーナーでお絵描き問題が出る意味不明の絵を描いて解答者を混乱させ、さんまをあきれさせていことが多々あった
* 『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』にて[[エコマーク]]のイラストを出題され(抱きかかえているデザインから)「スイカ泥棒」と答え周囲を大爆笑させる。司会の島田紳助はそれ以来エコマークがスイカ泥棒にしか見えなくなったという。
* 過去に[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]のメンバーとして[[島田洋七]]に数度コンビを組まないかと誘われ、「洋・寛」という漫才コンビを結成したりするも長続きしなかった。ただ池乃めだかとは何度かコンビを組んで舞台に上がった事がある。その後、東京進出の際には、洋七の親友である[[ビートたけし]]の弟子軍団である『[[たけし軍団]]』入りも検討し、たけしからもOKをもらったが、断念した。
* ハゲ頭の[[鬘|カツラ]]を被ったおじいちゃん役(通称:最強ジジイ)での出演が非常に多く、吉本新喜劇での名物キャラの一人であった。ヒザをカクカクさせながら杖を振り回し、最後に「がんばっとるか〜」と言う姿は多くの観客の笑いを誘ったが、調子に乗ってあまりにも膝をカクカクさせすぎて、本当にヒザを痛めたことがある。また、多額の借金を抱えていたとき、その姿を見た妻から「アンタは杖の先にハンコつけて(判をつきながら)歩き回っているのか!」と言われたことがある。なお[[大日本住友製薬]]が老人用の薬の宣材にこのキャラクターを起用した。
* 『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』に出演の際には、[[タモリ]]と必ずサルのケンカのマネを行い、そのやり取りで1コーナー(テレフォンのゲスト出演においては、トークすることなく)が終わってしまうことがよくある見られた
 
== 主な持ちネタ・ギャグ ==