「石上麻呂」の版間の差分

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こぶまき (会話 | 投稿記録)
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大宝元年([[701年]])3月21日に、[[大宝律令|大宝令]]にもとづく官位が授けられたとき、[[中納言]][[直大壱]]石上朝臣麻呂は、正[[正三位]]となり、[[大納言]]に進んだ。とは『[[日本書紀]]』によるもので、『[[公卿補任]]』では少し異なり、大宝元年([[701年]])3月19日に中納言に任命され、同日に[[従三位]]になったが、3日後の21日に大納言、正三位に進んだとする。
 
同年7月21日、[[多治比嶋|多知比島]]が死んだ。正三位石上朝臣麻呂は、このとき[[刑部親王]]とともに島の家に赴き、天皇からの贈り物を渡した。大宝2年([[702年]])8月16日に、正三位石上朝臣麻呂は、[[大宰帥]]になった。大宝3年([[703年]])閏4月1日に[[右大臣]]の[[阿倍御主人]]が死んだとき、正三位石上朝臣麻呂は弔いと贈り物をする使者になった。
 
== 右大臣・左大臣 ==