「ハインリヒ1世 (アイレンブルク伯)」の版間の差分

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[[File:HeinrichIvEilenburg.jpg|thumb|right|200px|アイレンブルク伯ハインリヒ1世]]
'''ハインリヒ1世'''('''Heinrich I''', [[1070年]]頃 - [[1103年]])は、[[ヴェッティン家]]のアイレンブルク伯、[[マイセン辺境伯]](在位:[[1089年]] - 1103年)。[[ラウジッツ辺境伯領|ラウジッツ辺境伯]][[デド1世 (オストマルク辺境伯)|デド1世]]と2度目の妻アデーラ・フォン・ブラバント([[オーラミュンデ]]=マイセン辺境伯[[オットー1世 (ヴァイマール=オーラミュンデ伯)|オットー]]の未亡人)との息子として生まれた(''[[:de:Annalista Saxo|Annalista Saxo]]''の記述による)。同名の息子との区別のため、年長のハインリヒ(der Ältere)と呼ばれる。
'''ハインリヒ1世'''('''Heinrich I''', [[1070年]]頃 - [[1103年]])は、[[ヴェッティン家]]のアイレンブルク伯、[[マイセン辺境伯]](在位:[[1089年]] - 1103年)。
 
== 生涯 ==
'''ハインリヒ1世'''('''Heinrich I''', [[1070年]]頃 - [[1103年]])は、[[ヴェッティン家]]のアイレンブルク伯、[[マイセン辺境伯]](在位:[[1089年]] - 1103年)。[[ラウジッツ辺境伯領|ラウジッツ辺境伯]][[デド1世 (オストマルク辺境伯)|デド1世]]と2度目の妻アデーラ・フォン・ブラバント([[オーラミュンデ]]=マイセン辺境伯[[オットー1世 (ヴァイマール=オーラミュンデ伯)|オットー]]の未亡人)との息子として生まれた(''[[:de:Annalista Saxo|Annalista Saxo]]''の記述による)。同名の息子との区別のため、年長のハインリヒ(der Ältere)と呼ばれる。
 
[[1075年]]の父の死後、[[オストマルク (ザクセン)|オストマルク]]辺境伯とラウジッツ辺境伯を継いだ。[[1089年]]にはマイセン辺境伯に封ぜられ、この地を治めた初めてのヴェッティン家の人間となった。1103年に急死、妻でマイセン辺境伯[[エクベルト1世 (マイセン辺境伯)|エクベルト1世]]の娘[[ゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイク|ゲルトルート]]との一人息子[[ハインリヒ2世 (アイレンブルク伯)|ハインリヒ2世]](年若のハインリヒ)が後を継いだ。