「ロックンロール」の版間の差分

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Femiyesno (会話 | 投稿記録)
ロックンロールの成立に出典
Femiyesno (会話 | 投稿記録)
リーバーとストーラーに出典
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{{要出典範囲|こうした需要に応えたのが[[1958年]]頃から続々と登場した[[アルドン・ミュージック]]、{{仮リンク|ヒル・アンド・レインジ|label=ヒル・アンド・レインジ・ソングス|en|Hill & Range}}などの新興の[[音楽出版|音楽出版社]]だった。これらの会社は[[キャロル・キング]]&[[ジェリー・ゴフィン]]、{{仮リンク|ジェフ・バリー (ソングライター)|label=ジェフ・バリー|en|Jeff Barry}}&[[エリー・グレニッチ]]などの若手作曲家チームを抱え、ロックンロール向きの新曲を次々と送り出した。|date=2018年6月}}
 
{{要出典範囲|このような動きがもたらしたロックンロールの変化は、第一に一握りの天才的なアーティストが主導する時代から、企業によってシステム的にロックンロール作品が作られる時代に入ったことである。これは、音楽出版社の抱える楽曲ストックの中から優れた楽曲を見出すA&Rマン(プロデューサー)の重要性が増すことによってもたらされた変化である。このようにマクロな経済構造に組み込まれ、商業的にならざるを得なかったロックンロールだが、そのような商業支配の構図に対してときにその経済構造に組み込まれたアーティスト自らが異議を唱える、といった自己矛盾を底流に持ち続けてきたのもまた、ロックンロールの特性といえる。|date=2018年6月}}
 
{{要出典範囲|第二の変化として、初期のロックンロールが[[テネシー州]][[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]や[[ニューメキシコ州]][[クローヴィス (ニューメキシコ州)|クローヴィス]]などの南部の地方都市から[[ニューヨーク]]に移ったことである。前述の音楽出版社が[[ニューヨーク]]に設立された為である。|date=2018年6月}}
 
{{要出典範囲|これらの音楽出版社の多くが、[[ブロードウェイ]]のブリル・ビルディングという建物に入居していた為、動きを“ブリル・ビルディング・サウンド”と呼ばれることもあった。ブリル・ビルディング・サウンドはポップス主なアーティ歌手・作曲家分業シトはテムであり[[ニロックンロール・セダカ]]、ジの歴史で重要なチムは、「ハウドドッグ」「カンサスシティ」「ヤケティトニク」「ラヴ・ポ、ボションNO.9」を作曲した[[リ・ヴィなどであるとストーラー]]ぐらいだった<ref>http://www.goodreads.com/book/show/6022920-hound-dog</ref>|date=2018年6月}}
 
{{要出典範囲|尚、{{仮リンク|スナッフ・ギャレット|en|Snuff Garrett}}や[[フィル・スペクター]]などの[[ロサンゼルス]]のプロデューサーも活動していた。|date=2018年6月}}