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一方で、[[1871年]](明治4年)7月、[[兵部省]]に「機務密謀ニ参畫シ地圖政誌ヲ編輯シ並ニ[[スパイ|間諜]]通報等ノ事ヲ掌ル」[{{NDLDC|787951/393}}]ことを目的に陸軍参謀局が設けられ、「平時ニ在リ是ヲ諸地方ニ分遣シ地理ヲ測量セシメ地圖ヲ製スルノ用ニ供スル事」[{{NDLDC|787951/404}}]として間諜隊が置かれた。翌年の2月に兵部省が[[陸軍省|陸軍]]、[[海軍省|海軍]]両省に分割された際には[[陸軍省]]参謀局として存置されたが、[[1873年]](明治6年)4月、「陸軍[[文庫]]・測量地圖・繪圖[[彫刻]]・兵史並[[兵家]]政誌蒐輯」[{{NDLDC|787953/594}}]を掌る陸軍省第六局(翌年再び参謀局と改称[{{NDLDC|787954/449}}])となった。さらに、[[1878年]](明治11年)12月、陸軍省参謀局が廃止され[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]が設置されたのを機に、同部の地図課・測量課として拡充・改称された。
 
このように、一時期日本における測地測量は内務省地理局と参謀本部測量課により二元的に実施されてきたが、[[1884年]](明治17年)6月26日、一連の太政官達「内務省所属大三角測量事務ヲ参謀本部ニ引渡」及び「内務省所属大三角測量事務ヲ参謀本部ニ請取」[{{NDLDC|787964/290}}], [{{NDLDC|787964/291}}]によって大三角測量業務は参謀本部の管轄に移管され、内務省地理局は以後地誌編纂を主な業務とすることとなった。これに伴い、同年9月に参謀本部の地図課・測量課が測量局へと拡充された後さらに、[[1888年]](明治21年)5月、陸地測量部條例(明治21年5月勅令第25号)の制定をもって、参謀本部の一局であった測量局は分離して本部長直属の独立官庁である[[陸地測量部]]となり、以後[[1945年]](昭和20年)の[[終戦]]時まで全国規模の陸地部における測量を統括するという原則が継続された。同年の[[東京大空襲]]を受けて[[長野県]][[松本盆地]]に各部署毎に分散疎開した<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/52/1/52_1_13/_pdf https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca/52/1/52_1_13/_pdf]</ref>。金窪敏知、
[https://doi.org/10.11212/jjca.52.1_13 陸地測量部から地理調査所へ] 地図 2014年 52巻 1号 p. 1_13-1_18, {{doi|10.11212/jjca.52.1_13}}</ref>。
 
=== 終戦後 ===
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== 地形等の正式名 ==
 
島名や海峡名などについて、国土地理院と[[海上保安庁]]とが協議して名称を固定している。日本ではこの名称を「正式名」と呼ぶことになっている。場合によっては、住民も自治体も用いない名称がこの正式名として定められる場合がある(例:[[周防大島]](正式名では、屋代島))。
 
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== 脚注 ==
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<references/>
 
== 参考文献 ==