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{{MedalSport|男子 [[競泳]]}}
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{{MedalCompetition|[[夏季オリンピックの競泳競技|オリンピック]]}}
{{MedalGold|[[1936年ベルリンオリンピックにおける競泳競技|1936 ベルリン]]|男子 200m平泳ぎ}}
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'''葉室 鐵夫'''(はむろ てつお、[[1917年]](大正6年)[[9月7日]] - [[2005年]](平成17年)[[10月30日]])は、[[福岡県]][[福岡市]]出身の[[日本]]の[[競泳]]選手。日本競泳界黎明期の選手のひとりで、亡くなるまでは[[大阪府]][[高石市]]に在住していた。
 
== 経歴・人物 ==
福岡県中学修猷館(現在の[[福岡県立修猷館高等学校]])<ref>[http://shuyu.gr.jp/tokyo_old/nimoku/old_records/dai517/dai517.html 東京修猷会 第517回二木会(2005年1月13日(木))]</ref>から[[日本大学]][[大学予科|予科]]に進学する。
 
[[1936年]](昭和11年)の[[1936年ベルリンオリンピックにおける競泳競技|ベルリンオリンピック]]200m[[平泳ぎ]]で、葉室はドイツの[[エルヴィン・ジータス]]([[:de:Erwin Sietas|Erwin Sietas]])との接戦の末に金メダルを獲得した。この決勝戦は[[アドルフ・ヒトラー]]も観戦しており、表彰式での[[君が代]]演奏ではヒトラー自身も起立し、右手を前方に挙げる[[ナチス式敬礼]]で葉室の栄誉を称えている。
 
葉室は[[1940年]](昭和15年)に第一線を退くまで、200m平泳ぎで世界ランキング1位の座を守った。