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*7層目: 黒褐色土。様々な種類の[[縄文土器]]<!---([[押型文土器]]、[[桑ノ丸式土器]]、[[平栫式土器]]、[[塞ノ神式土器]]、[[前平式土器]]、[[石坂系土器]]、[[条痕文土器]])--->に加えて集石遺構56基、土抗3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。
*8層目: 桜島の火山灰(P13)を含む黒色土。[[前平式土器]]、[[撚糸文土器]]が確認された。
*9層目: 暗茶褐色土。竪穴式住居跡、集石遺構、連穴土抗、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。「国内では最古級で最大の定住化した集落」竪穴式住居52棟、このうち10軒の竪穴内の埋土は桜島噴出の火山灰(9500年前)が詰まっていた。このことから上野原台地の早期前葉には10軒程度の集落が形成されていた。日本列島最古の集落跡。石蒸し料理施設の集石39基、燻製料理施設の連穴土(炉穴)19基、道跡(二筋)、多数の土抗や生活跡。<ref>「南九州の初期縄文遺跡」新東晃一 『日本の考古学』奈良文化財研究所編集 学生社 2007年4月</ref>
*10層目: 桜島の火山灰(P14:サツマ火山灰)を含む黄色土。この層より下の遺跡は確認されていない。
 
このうち特に桜島火山灰P14の上にあった最下層部の遺跡において、竪穴式住居46軒、石蒸調理のための集石遺構が39基、[[燻製]]製造のための連穴土15基、その他の土抗約125基、道の跡2条が確認された。竪穴式住居跡のうち10軒については桜島火山灰P13で埋まっていたことから、これらの住居はP14からP13の間、すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に存在していたことが確認された。集落跡の面積は15,000平方メートルに及ぶ
 
「連穴土坑」は大小の穴の底面がトンネル状に連なった遺構で、底面や壁面に焼土が確認され調理場跡と考えられている。南九州では縄文草創期から出現し、上野原遺跡以外でも掃除山遺跡・拵ノ原遺跡などで確認されている。連穴土坑内からは狩猟獣である[[シカ]]・[[イノシシ]]に由来する残留脂肪酸が検出されており、食料の保存加工のための[[燻製]]施設とする説がある。
 
竪穴式住居跡のうち10軒については桜島火山灰P13で埋まっていたことから、これらの住居はP14からP13の間、すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に存在していたことが確認された。集落跡の面積は15,000平方メートルに及ぶ。
 
== 発掘後の状況 ==