「コザ暴動」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Aeae41 (会話 | 投稿記録)
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Aeae41 (会話 | 投稿記録)
→‎事件の勃発: 内容追加、記事巻き戻し
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
67行目:
 
== 事件の勃発 ==
1970年12月20日午前1時過ぎ、コザ市の中心街にある軍道24号線(現在の県道330号線)を横断しようとした沖縄人軍雇用員(酒気帯び)が、キャンプ桑江(CAMP LESTER)のアメリカ陸軍病院所属のアメリカ軍人(同じく酒気帯び)の運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)
現場には5台のMPカーと1台の琉球警察[[パトカー]]が出動、負傷者の病院搬送と現場検証、加害者の事情聴取を行った。その間、現場に隣接する中の町社交街から地元住民が集まり始めた。MPによる事故処理に対し「犯罪者である外人男を逃がすな<ref>負傷者の搬送より加害者の移送が先になり、あたかもMPが加害者を逃がそうとしたように見えたので群集が騒ぎ出したという説もある。</ref>」と不信・不満を口々に叫び騒然となったが、警察官の機転で加害者はコザ警察署(現[[沖縄警察署]])に移送された。
運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。隊伍を組み直したMPは午前2時15分ころ[[拳銃]]による[[威嚇]]発砲を行い、暴行を受けていた運転手を救出。しかし発砲で一旦ひるんだ暴徒はかえって怒りを爆発させ、MPを投石で押し返すとともに、2時30分前後から沿道に駐車中のアメリカ軍車両や放置されたMPカーを車道中央へ押し出し、次々と放火した。
この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。[[投石]]、
事故車両の移動が済んだ午前1時35分ころ、現場に女性を連れたアメリカ兵が通りかかり、群集は彼らを「外人男が日本の女に手を出すな」「あばずれ」「売女」と挑発的に煽った。MPは2人をMPカーに乗せ移動しようとしたが、群衆はMPカーを取り囲み横転させようとした。他のMP隊員の応援でMPカーは現場から脱出したが、群集は続いて他のMPカーを横転させようとした。
運転する乗用車にはねられ、全治10日間ほどの軽傷を負う事故が発生した(第1の事故)この時点で数百人規模になっていた群集は半ば暴徒と化し、公然と車道に出て、当時黄色の[[ナンバープレート]]によって区別されていたアメリカ軍人・軍属の車両が走行してくると進路を妨害するなどしたため、MPおよび警察官は秩序維持のため応援部隊を要請。隊伍を組み直たMPは午前2時1510分ころ[[拳銃]]、反対車線で走路妨害よるあったアメリカ兵運転の乗用車が、沖縄人運転の民間車両に追突(第2の事故)。暴徒はこれを取り囲み[[威嚇投石]]発砲を行い暴行を受けていたアメリカ人運転手に暴行救出加えたしかし発砲で一旦ひるんだ暴徒はかえって怒りを爆発させ、またMPにも投石で押し返すとともにを始め2時30分前MPが退いたから沿道駐車中のアメリカ軍車両や放置され残ったMPカーを車道中央へ押し出し横転させ次々と火を火した。
 
== 事件の拡大と収束 ==