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[[1937年]](民国26年)2月、張群は中央政治委員会秘書長兼外交専門委員会主任委員に任じられた。同年7月の[[盧溝橋事件]]による[[日中戦争]](抗日戦争)勃発に伴い、軍事委員会秘書長となった。翌年1月、行政院副院長に任命され、[[1939年]](民国28年)には国防最高委員会秘書長をつとめた。
 
その前の[[1938年]](民国27年)1月、日中戦争の後方支援体制整備のため、病死した[[劉湘]]の後任として四川省政府主席に任命された。しかし、中央勢力浸透を嫌う四川軍指揮官たちの反発を買ったため、張群もやむなく主席を退き、軍事委員会委員長[[重慶市|重慶]](四川)行営主任に異動している。[[1940年]](民国29年)11月、ようやく四川省政府主席となり、あわせて軍事委員会委員長[[成都市|成都]]行轅主任も兼ねた。これにより、四川省の人力・財力を動員して、後方支援体制の整備に成功している。1944年4月には、B-29の日本空襲のため、成都周辺の飛行場建設をほぼ完成させた
 
=== 国共内戦以後 ===