「野村義男」の版間の差分

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* 同年、[[ジャニーズJr.]]の古川清隆らと「[[ジャニーズ少年団]]」というグループを結成。『[[小さなスーパーマン ガンバロン]]』の主題歌をリリース。
* [[1979年]]、15歳の時に[[TBSテレビ|TBS]]『[[3年B組金八先生]]』に出演して一気にブレイク<ref name="dogatch20160120" />。以後、[[田原俊彦]]、[[近藤真彦]]らとともに「[[たのきんトリオ]]」として活躍する<ref name="dogatch20160120" />。
* [[1982年]]、スペシャルドラマ『[[ボクの音楽武者修行]]』で若き日の小澤征爾役を演じる。クラシックの指揮者役はミュージシャン指向の野村としても貴重な経験となった。<!--現役のポップス系アイドルによる、クラシックの指揮者役は当時としては異例であった。-->
* [[1983年]]6月、アルバム『待たせてSorry』でソロレコードデビュー。
* 同年、バンドグループ「'''[[The Good-Bye]]'''」を結成<ref name="T-SITE20161123">{{Cite web| title = 野村義男「Charに出会ってなかったらエレキもこれほどまでにハマらなかった」「不滅の名盤 」×「MUSIC SOUP -45r.p.m.-」| work = T-SITEニュース エンタメ | publisher = TSUTAYA| date = 2016-11-23| url = http://top.tsite.jp/entertainment/j-pop/i/32444071/| accessdate = 2017-05-10}}</ref>。ジャニー喜多川は、田原俊彦や近藤真彦のようにレコードデビューをさせて、たのきんトリオ全員を歌手として大成させたいと考えており、野村にも早い時期からデビュー話を熱心に説いていた。しかし、野村は当時から将来はギタリストとして活動することを考えており、プレイヤー志向が強かったため、アイドル歌手としての活動にも興味がなかった。それでもレコードデビューをと食い下がる<ref>当時、ジャニーズ事務所のタレントに俳優業だけで所属している者は稀であった。また、既に知名度もあり、周囲も野村の歌手活動を心待ちにしていた背景も影響している。</ref>ジャニー喜多川に対し、「バンド形式なら」「自分がメインボーカルではなく、ツインボーカル形式なら」などの条件を次々と提示したところ、いずれも快諾されたため、野村の本格的なデビューが決定する。TBS『[[ザ・ベストテン]]』にて、20位以内にランキングしたため、「今週のスポットライト」に初登場。[[近藤真彦]]からは「これが最初で最後の出演」と茶化されてしまった(事実、その後一度もランキングされなかったというエピソードがある)。一方、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ザ・トップテン]]』では、『涙のティーンエイジ・ブルース』、『YOU惑MAY惑』等の曲がトップテン内にランクインされた他、ラジオ番組などでもランキングされていた。尚、1983年の各音楽賞レースでは最優秀新人賞を受賞している。