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'''フローレンス・ナイチンゲール'''('''Florence Nightingale'''、[[1820年]][[5月12日]] - [[1910年]][[8月13日]])は、[[イギリス]]の[[看護師]]、[[社会起業家]]、[[統計学|統計学者]]、[[看護教育|看護教育学者]]。近代看護教育の母。病院建築でも非凡な才能を発揮した。[[クリミア戦争]]での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革で著名<ref name=stat>{{Cite web |url = http://www.stat.go.jp/teacher/c2epi3.html |title = ナイチンゲールと統計 |publisher = 総務省 統計局 |accessdate = 2018-08-12 }}</ref>。[[国際看護師の日]](5月12日)は彼女の誕生日である。
 
[[ロンドン]]の聖トーマス病院に付属して[[ナイチンゲール看護学校]]を設立、これは世界初の宗教系でない[[看護学校]]であり、現在は[[キングス・カレッジ・ロンドン]]の一部となっている。
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===クリミア戦争へ===
[[ファイル:Florence Nightingale by Kilburn c1854.jpg|thumb|250px|1854年頃の写真]]
[[ファイル:Nightingale-mortality.jpg|thumb|ナイチンゲールが考案した「鶏のとさか」と呼ばれる円グラフ<ref>http://www. name=stat.go.jp/teacher/c2epi3.htm ナイチンゲールと統計 総務省 統計局</ref>。[[クリミア戦争]]での負傷兵たちの死亡原因を、予防可能な疾病、負傷、その他に分けて視覚化している。]]
しかし、[[1854年]]に[[クリミア戦争]]が勃発すると、転機が訪れた。[[タイムズ|ロンドンタイムス]]の特派員{{仮リンク|ウイリアム・ハワード・ラッセル|en|William Howard Russell}}により、クリミア戦争の前線における[[負傷兵]]の扱いが後方部隊で如何に悲惨な状況となっているかが伝えられるようになると、一気に世論は沸騰する。ナイチンゲールも自ら[[看護師|看護婦]]として従軍する決意を固める。