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'''リッキー・ブルーフ'''(Ricky Bruch、Björn Rickard "Ricky" Bruch、[[1946年]][[7月2日]] - [[2011年]][[5月30日]])は、[[スウェーデン]]の陸上競技選手。1960年代から1980年代にかけて活躍した[[円盤投]]の選手で、1972年[[1972年ミュンヘンオリンピック]]の銅メダリストである。
 
== 経歴 ==
ブルーフは身長199cm、体重135kgの[[ヴァイキング]]を思わせる風貌で、スウェーデン南部の[[スコーネ地方]]で育った。
 
ブルーフが陸上選手として頭角を現し始めたのは1960年代中盤で、当時は[[砲丸投]]をメイン種目としていた。後に円盤投に種目を替え、1968年には[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコシティーオリンピック]]に出場。59m28で初めてのオリンピックは8位に終わった。
 
1969年にはヨーロッパ選手権で2位となると、同年には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ジェイ・シルベスター]]の世界記録に迫る68m04のヨーロッパ記録を樹立。世界の強豪の仲間入りを果たしていく。1970年に入ると、シルベスターとともに70mの大台を目指して激しい攻防が繰り広げられた。2人とも何度か70mを超えるスローを行ったが、風の影響や、円盤の重量の違反などでいずれも公認されることはなかった。
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ブルーフは、1972年に[[ストックホルム]]の試合で、シルベスターの世界記録に並ぶ68m40を出す。しかし、同年のミュンヘンオリンピックでは、[[チェコスロバキア]]の[[ルドビク・ダネク]]、シルベスターに次いで銅メダルにとどまった。
 
ブルーフは、その後伸び悩み、1974年のヨーロッパ選手権で3位となった以降は目立った成績を残さなくなる。1976年の[[1976年モントリオールオリンピック]]には出場したものの、決勝に残ることなく敗れている。
 
ブルーフは、1970年代後半から競技を一旦中断したものの、1984年に38歳になりカムバックを果たす。1984年の9月から11月にかけて70m48、71m00、71m26と立て続けに70m台を記録。かつて何度も挑んだ70m台をクリアした。しかしすでにこのときの世界記録は71m86まで更新されていた。しかし、翌年、ブルーフはチームメートとのいざこざにより競技から引退することとなった。
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|1968
|[[1968年メキシコシティーオリンピックにおける陸上競技|オリンピック]]
|[[メキシコシティ]]([[メキシコ]])
|円盤投
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|1972
|[[1972年ミュンヘンオリンピックにおける陸上競技|オリンピック]]
|[[ミュンヘン]]([[西ドイツ]])
|円盤投