「ジョージ・フォアマン」の版間の差分

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'''ジョージ・エドワード・フォアマン'''('''George Edward Foreman'''、[[1949年]][[1月10日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の元[[プロボクサー]]。[[テキサス州]][[マーシャル (テキサス州)|マーシャル]]出身。現在は同テキサス州のヒューストンにあるキリスト教会、THE CHURCH OF THE LORD JESUS CHRISTの牧師。
 
「[[ゾウ|象]]をも倒す」といわれた強打を生かし<ref name="HeavyweightChampions" />、[[1968年メキシコシティオリンピック]]ボクシング[[ヘビー級]]で[[金メダル]]を獲得した。プロ転向後は[[ジョー・フレージャー]]や[[ケン・ノートン]]をも2ラウンドでKOし、統一世界ヘビー級王座を獲得・防衛した。その後、[[キンシャサの奇跡]]で[[モハメド・アリ]]に敗れるなどし1977年に28歳で一度は引退するも、1994年に45歳にして実に20年ぶりに世界ヘビー級王者に返り咲いた。
 
娘である{{仮リンク|フリーダ・フォアマン|fi|Freeda Foreman}}もプロボクサーとして活動した。次男の{{仮リンク|ジョージ・フォアマン3世|en|George Foreman III}}もプロボクサー。
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貧しい黒人家庭で、7人兄弟の5番目の子供として生まれる。成長期は喧嘩・飲酒・窃盗に明け暮れる不良少年で、中学校もまともに卒業していない。16歳の頃、偶然テレビで目にした「君にもセカンドチャンスがある!」という広告にひかれ、[[リンドン・ジョンソン]]大統領が貧民救済策として創設した職業部隊{{enlink|Job Corps}}に加入。職業訓練を受けながらボクシングと出会い更生する<ref name="nikkeibp20090910">{{cite news |title=チャンピオンは諦めない。フォアマンが挑む子どもたちの心 |newspaper=[[日経ビジネス]]|date=2009-9-10 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20090903/204002/ | accessdate=2014-1-25}}</ref>。
 
アマチュアボクシングを始めてから2年足らずで国内選考会を勝ち抜き、[[1968年メキシコシティオリンピック|メキシコ五輪]]の[[1968年メキシコシティオリンピックにおけるボクシング競技|ボクシング]]ヘビー級米国代表選手に選ばれる。[[1968年]]10月、[[ソビエト連邦]]代表の[[イオナス・チェプリス]]をKOで破り金メダルを獲得する。
 
=== プロデビューからヘビー級チャンピオンへ ===
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== 獲得タイトル ==
* 全米[[アマチュア運動連合|AAU]]・ボクシング競技[[ヘビー級]]優勝(1968年)
* 第19回[[1968年メキシコシティーオリンピック|メキシコシティーオリンピック]]・ボクシング競技ヘビー級優勝(1968年)
* [[北米ボクシング連盟|NABF]]北米ヘビー級王座
* パンアメリカンヘビー級王座
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{{Commonscat|George Foreman}}
* [[男子ボクサー一覧]]
* [[オリンピックボクシング競技メダリスト一覧]]
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧#ヘビー級]]
* [[世界ボクシング評議会世界王者一覧#ヘビー級]]
125行目:
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふおあまん しよおし}}
 
[[Category:アメリカ合衆国の男子ボクサー]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人のボクサー]]