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→‎歴史: 整理。明治以降、第2次大戦終戦までは遊女の同様な節にまとめる。
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==歴史==
:日本の娼婦の歴史は「[[遊女]]」を参照
売春婦は、一説には人類史上最古の[[職業]]といわれている。古代世界では神の恩寵を性交を通して与える者「[[神聖娼婦]]」として聖職と捉えられることがあった。また、世界各国の軍隊では兵士の[[強姦]]事件や[[性病]]、[[情報漏洩|機密漏洩]]の防止のために売春婦を多数雇い入れる例がある。
 
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== 日本における娼婦 ==
:第二次世界大戦前は「[[遊女]]」を参照
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米軍占領下において、[[1945年]]には米兵の慰安、及び一般日本人女性に対する'''肉の防波堤'''として[[特殊慰安施設協会]](RAA) が設立される。労働は客によって過酷であったが極端に困窮していた国情もあり、戦争未亡人の助けともなった<ref>『戦後性風俗大系』 p.12 -</ref>。しかし短期間で終了し、その後[[1956年]]には[[売春防止法]]が制定され、日本において街に佇む娼婦は、存在自体が違法とされるものとなった。
=== 近世 ===
{{main|遊女}}
[[江戸時代]]の娼婦には大きく三通りがある。遊郭などの店で客を取った者、飲食店や旅館などで個人的な建前の元で客を取った者、個人的な街娼である。
 
現在の[[日本]]においては、「[[ソープランド]]」と呼ばれる売春施設におけるいて[[売春]]行為を行う「[[風俗嬢]]」)の他、[[ラブホテル]]などを利用した[[援助交際]]、[[アダルトビデオ]]への出演を行い報酬を稼ぐ「[[AV女優]]」[[インターネット]]を利用したアダルト[[チャット]]に出演して[[オナニー]]したり男性との[[性行為]]を見せて報酬を稼ぐ「チャットレディ」など、複数就業方法がある。また、い形態は多岐にゆる[[援助交際]]が新な売春の形として問題となっている。
当時は近代的な性病の検査が不可能であったため、性病の罹患率が高かったと見られている。
 
=== 近代 ===
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{{See also |遊女|からゆきさん|慰安婦}}
[[明治維新]]以降、[[吉原遊郭]]などの日本の売春システムは、[[ラザフォード・オールコック]]など外交官や宣教師たちの批判にさらされた<ref name="Sekiguchi">[[関口すみ子]]『御一新とジェンダー:荻生徂徠から教育勅語まで』 東京大学出版会 2005年 ISBN 4130362232 pp.263-277.</ref>。[[明治5年]]に発生した[[マリア・ルス号事件]]により[[人身売買]]の容認を指摘された明治政府は、同年に[[芸娼妓解放令]]・[[牛馬切りほどき令]]を発布し、[[年季奉公]]中の娼妓を解放した<ref name="Sekiguchi"/>。しかし、突然発令された芸娼妓解放令に対する遊郭側の反発と、路頭に迷う娼妓の発生といった事態の中、[[東京府]]が「貸座敷渡世規則」「娼妓渡世規則」を制定するなど、遊郭制度を国から地方自治に移管し、娼妓が自由意志で営業する形式が整えられた。
 
新たな遊郭制度に対し、[[新島襄]]らの[[安中教会]]が先頭となって遊郭公許反対運動が起こされた。また、男女同数論を唱え[[妾]]制度を批判した[[福沢諭吉]]は『家庭叢談』(明治9年)の中で、芸娼妓は「人外人」であると評し、娼妓を排除・拒絶することでその生業を[[恥]]と自覚させ、転向を促すことを唱道した。娼婦や売春宿の隔離、囲い込みなどが成されたほか、新聞などで娼婦が「醜業婦」、「闇の女」などの別称で呼ばれる例が見られる様になる<ref>『性欲の文化史』p.25 - 、p.128 -、『うるま新報』1946年2月20日「闇の女の増加に文相頭痛」(醜業婦との記述もあり)、『戦後性風俗大系』p.12 -</ref>。こうした政治・言論界の世論誘導によって、維新以前は花魁と呼ばれた芸娼妓も、明治初期より[[社会的地位]]が沈下していった<ref name="Sekiguchi"/>。
 
近代的な検査が可能になり、[[公娼]]制度の下で性病検査が行われるようになった。国際的に見て、アジアなどの広域で各国娼婦が活動する(または売買される)ようになったのは、これが大きいとも言われる。また公娼制度の下での性病検査の存在は、公娼廃止運動に対する反対根拠ともなっている。
 
=== 第二次大戦後 ===
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{{See also | パンパン }}
米軍占領下において、1945年には米兵の慰安、及び一般日本人女性に対する'''肉の防波堤'''として[[特殊慰安施設協会]](RAA) が設立。労働は客によって過酷であったが極端に困窮していた国情もあり、戦争未亡人の助けともなった<ref>『戦後性風俗大系』 p.12 -</ref>。しかし短期間で終了し、その後1956年には[[売春防止法]]が制定され、日本において街に佇む娼婦は、存在自体が違法とされるものとなった。
 
=== 平成時代 ===
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現在の[[日本]]においては、「[[ソープランド]]」と呼ばれる売春施設における売春行為(「[[風俗嬢]]」)の他、[[アダルトビデオ]]への出演を行い報酬を稼ぐ(「[[AV女優]]」)、アダルト[[チャット]]に出演して[[オナニー]]したり男性との[[性行為]]を見せて報酬を稼ぐ(「チャットレディ」)など、複数の就業方法がある。また、いわゆる[[援助交際]]が新たな売春の形として問題となっている。
 
==著名な娼婦==