「鮫ヶ尾城」の版間の差分

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|pref=新潟県
|remains=堀切、郭、虎口、水場、}}
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'''鮫ヶ尾城'''(さめがおじょう)は、現[[新潟県]][[妙高市]]にかつて存在した[[上杉家]]配下の[[日本の城]]。城跡は[[平成]]20年([[2008年]])[[7月28日]]に国の[[史跡]]に指定された('''鮫ヶ尾城跡''')。
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|地図=Japan Niigata
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'''鮫ヶ尾城'''(さめがおじょう)は、現[[新潟県]][[妙高市]]にかつて存在した[[上杉家]]配下の[[日本の城]]。城跡は[[平成2008年]]20年([[2008年平成]]20年)[[7月28日]]に国の[[史跡]]に指定された('''鮫ヶ尾城跡''')。
 
==概要==
[[築城]]年は分かっていないが、[[永正]]から[[天正]]年間に上杉氏(長尾氏)による[[北国街道]]の防御を兼ねた[[街道]]整備の一環として、[[春日山城]]直近の最前線[[要塞]]の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。
 
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現在も米蔵跡からはその乱の時に焼けた米『焼き米』が出土する。(文化財指定されている為、持ち出し禁止)
 
また、2008年度(平成20年度(2008年度)の調査において、熱を帯びた陶磁器や雑穀が混じっていないおにぎりが出土している。一部の出土品は城跡下の管理センター、城跡近くに温泉施設「[[景虎の湯]]」に展示されている。
一部の出土品は城跡下の管理センター、城跡近くに温泉施設「[[景虎の湯]]」に展示されている。
 
== 参考文献 ==
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{{続日本100名城}}
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{{Japanese-history-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:さめかおしよう}}
[[Category:妙高市の歴史]]