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{{参照方法|date=2018-08-20}}
{{複数の問題
|存命人物の出典明記=2017年3月
|独自研究=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)
|言葉を濁さない=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}
{{Infobox Musician <!--プロジェクト:音楽家を参照-->
|Name = Mummy-D
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|Label =
|Production = [[スタープレイヤーズ]]
|Associated_acts = [[宇多丸]](佐々木士郎)、[[DJ JIN]]
|Influences =
|URL = [http://www.rhymester.jp/ RHYMESTER]
}}
'''Mummy-D'''(マミーディー、[[1970年]][[4月14日]] - )は、[[日本のヒップホップ]]グループ、[[RHYMESTER]]および[[マボロシ]]の[[MC (ヒップホップ)|MC]]、マイクロフォンNo.2、[[俳優]](役者)、プロデューサー、タレント。本名、'''坂間 大介'''(さかま だいすけ)。弟は同じくヒップホップMCの[[KOHEI JAPAN]]<!--で通称「[[坂間兄弟]]」-->。トラックメイカーとしては'''Mr.Drunk'''名義で活動している。相棒の宇多丸は、BMR誌でラップ評を書いていた佐々木士郎である。[[クイズプレゼンバラエティー Qさま!!]]([[テレビ朝日]])に出演するなど、テレント業もおこなっている。
 
== 来歴 ==
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高校時代はサッカー部に在籍。[[RHYMESTER]]メンバーの[[宇多丸]]が帰宅部出身を売りにしているのに対し、高校まで部活をやっていたことを売りにしている。
 
高校時代の[[文化祭]]で友人のバンドに[[ギタリスト]]として参加する傍ら、個人でも初ステージを踏んでいる(本人によると、その曲はレゲエのような曲で「ウ○コは犯罪」だった)。また、別の高校に通っていた実弟の[[KOHEI JAPAN]]と一緒にステージも踏んでいる(当時は『[[MC (ヒップホップ)|MC]][[焼肉|ヤキニク]] (KOHEI JAPAN) と[[ディスクジョッキー|DJ]][[スペースシャトル]] (Mummy-D)』と名乗っていたと本人がラジオ番組で語っている)。大学時代の[[1989年]]、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」で出会ったメンバーと「RHYMESTER」を結成。「ギャラクシー」では第13代部長を務めていた。第12代部長が佐々木士郎(宇多丸)で、[[DJ JIN]]は第16代部長
 
大学時代の[[1989年]]、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」で出会ったメンバーとRHYMESTERを結成。「ギャラクシー」では第13代部長を務めていた(第12代部長が宇多丸で、[[DJ JIN]]は第16代部長)。
 
大学卒業後、[[桑沢デザイン研究所]]にてデザインを学ぶ。RHYMESTERの活動と並行して、当時の所属事務所であった[[ファイルレコード]]に籍をおき、CDジャケットなどのデザインに携わっていた。『[[B-BOYイズム]]』の頃まではジャケットにデザイナーとしてのクレジットも見られる。
 
USブラック・ディスク・ガイドでは、佐々木士郎とともにラップの一部を担当した<ref>USブラック・ディスク・ガイド、316ページ~318ページを参照</ref>。当時のお気に入りのラッパーは、マーリー・マール率いるジュース・クルー系であることを示唆していた。RHYMESTERの活動以外に、トラックメイカーとして他のラッパーや歌手とのコラボレーションもしている。[[マボロシ]]のMCでもあり、そちらでは本名の坂間大介を名乗る。
 
[[2006年]][[9月23日]]に一般の女性と結婚。披露宴にはメンバーの2人に加え、実弟のKOHEI JAPANや[[Full Of Harmony]]などの友人らが駆けつけ、[[演奏会|ライブ]]や[[クイズ]]、DJ JINによる公開[[スパーリング]]などのイベントが行われた。
 
[[2007年]][[11月25日]]にRHYMESTERとマボロシの両ブログにて[[11月24日]]午前7時に第一子が誕生したことを報告した。その日のRHYMESTERのブログでのタイトルは、弟KOHEI JAPANの『[[Family (KOHEI JAPANのアルバム)|Family]]』に収録されている「もしも息子が出来たなら…」だった。ちなみに子どもが誕生する前日には、[[KREVA]]の[[日本武道館]]ライブにゲスト出演していた。
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== エピソード ==
* Mummy-DのMummyは中学時代のあだ名のマミーから来ている。
* 「ちょんまげのライマー」と呼ばれ{{誰2|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}、独特な長髪のパーマヘアをちょんまげ風に結ぶ[[ヘアスタイル]]が特徴である。
* {{独自研究範囲|ヒップホップ界でのキャリアの出発はMCでは無く[[ダンサー]]とされる|date=2015年11月}}。 「酔っ払いのライマー」とも呼ばれ{{誰2|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}、3枚目のアルバム『[[グレイゾーン]]』(2004年発表)の「おぼえていない」という曲は、彼の酔って記憶が無い時のエピソードを題材にしている。同じアルバムの「だから私は酒を呑む」では「[[せんべい]]屋の長男」という表現が出てくるように、実家はせんべい屋である。
* 宇多丸には[[Zeebra]]とともに、ヒップホップ界の二大モテ男と言われている。
* 一時期{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}は実家に勘当されていたが現在は和解しており、実家の両親が[[演奏会|ライブ]]会場を訪れている。またKOHEI JAPANの[[ミュージック・ビデオ]]にも家族で共演している。
* {{独自研究範囲|ヒップホップ界でのキャリアの出発はMCでは無く[[ダンサー]]とされる|date=2015年11月}}。「酔っ払いのライマー」とも呼ばれ{{誰2|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}、3枚目のアルバム『[[グレイゾーン]]』(2004年発表)の「おぼえていない」という曲は、彼の酔って記憶が無い時のエピソードを題材にしている。同じアルバムの「だから私は酒を呑む」では「[[せんべい]]屋の長男」という表現が出てくるように、実家はせんべい屋である。
* 一時期{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}は実家に勘当されていたが現在は和解しており、実家の両親が[[演奏会|ライブ]]会場を訪れている。またKOHEI JAPANの[[ミュージック・ビデオ]]にも家族で共演している。
* ヒップホップのジャンルで音楽活動をしている坂間広平(KOHEI JAPAN、ヒップホップグループ[[MELLOW YELLOW]]の一員)は実弟。アルバム『リスペクト』([[1999年]]発表)の「ブラザーズ」という曲は、ヒップホップの世界で兄弟が競い合い、切磋琢磨し、時に協力し合いながら技を磨いてゆくという[[ストーリー]]になっていて、リリックが示すように、広平がヒップホップの世界に入ったきっかけは、兄の大介の影響が大きい。
* 1990年代後半のライブ映像では{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}、ステージ上で宇多丸に「10年代来のマイメン(親友の意味)」や「大ちゃん」と紹介されていたことがある。
* [[アディダス]]などスポーツ物のブランドを使ったファッションが得意で、時折{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}ストリート系の[[ファッション]]雑誌の[[グラビアページ|グラビア]]を飾っていたこともある。最近は名前の大介の大の字のペンダントを着けている。
* 写真を撮るのが趣味であり、[[ブログ]]などに載せている写真を撮っている。自称「写メラマン」。
* [[歴史]]([[日本史]])への造詣が深く、地方へ行った際は古跡巡りなどをしている。
*ラップをやめようとした友人の[[童子-T]]が以前ラップを辞めようかどうか彼に相談したら{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}「まだマイクを置くのは早いよ、オレが代表曲を作ってやるよ」と言って作られた曲は彼の出世曲となった「少年A」である。後輩の[[ダースレイダー]]も素人時代にクラブで彼に会った時、興奮し「俺に曲作ってください」と言うと「お前がしっかり仕事で頼める所まできたらいつでもやるよ」と言われ、後にその仕事が実現した。
* 酔っ払って[[クラブ]]の[[シャッター]]を壊して、その弁償代わりに『かたじけナイト』と銘打ったMummy-DのノーギャラDJ出演が約1か月近く続いた{{いつ|date=2015年11月16日 (月) 15:40 (UTC)}}。そしてその様子を見ていた[[DJミッツィー]]が『かたじけナイト』の名称に触発され、後に宇多丸も参加することになる日本語DJ集団のイベント名称は『申し訳ないと』と命名された。
 
== 客演作品 ==
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=== 舞台 ===
*最高はひとつじゃない 2016 SAKURA(2016年)<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2067505/full/|title=内博貴、初ラップに四苦八苦 自己採点は「3点…」|publisher=ORICON STYLE|date=2016-02-26|accessdate=2016-02-26}}</ref>
 
==関連項目==
*[[ヒップホップ]]
 
== 脚注 ==