「山下達郎」の版間の差分
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| 死没 = <!-- 個人のみ -->
| 学歴 = [[明治大学]][[法学部]]中退
| ジャンル = [[J-POP]]<br>[[AOR]]<br>[[ニューミュージック]]<br>[[シティ・ポップ]]<br>[[
| 職業 = [[シンガーソングライター]]<br>[[ミュージシャン]]<br>[[音楽プロデューサー]]<br>[[作詞家]]<br>[[作曲家]]<br>[[編曲家]]
| 担当楽器 = [[ボーカル]]<br>[[ギター]]<br>[[ベース (弦楽器)|ベース]]<br>[[ドラムス]]<br>[[キーボード (楽器)|キーボード]]<br>[[パーカッション]]
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'''山下 達郎'''(やました たつろう、[[1953年]][[2月4日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]、[[ミュージシャン]]。妻は[[シンガーソングライター]]の[[竹内まりや]]。共に株式会社[[スマイルカンパニー]]所属。[[ABO式血液型|血液型はB型]]。
== 人物/音楽性 ==
彼が影響を受けたのは、[[ブライアン・ウィルソン]]とビーチ・ボーイズのようなアメリカン・[[ポピュラー音楽|ポップス]]・[[ロック (音楽)|ロック]]
音楽作りに対する拘りと独自の制作姿勢から「'''音の職人'''」とも称される<ref>{{Cite web|title=フロントランナーセレクション 第92回 ミュージシャン 山下達郎さん ライブに賭ける音の職人(1/3)|url=http://doraku.asahi.com/hito/runner2/121016.html |publisher=[[朝日新聞社|どらく]] |date=2012-10-06 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130928002125/http://doraku.asahi.com/hito/runner2/121016.html |archivedate=2013-09-28 |accessdate=2014-09-28}}</ref><ref>{{Cite news|title=「職人でいる覚悟」山下達郎が語る仕事-2|url=http://www.asakyu.com/column/?id=1031|newspaper=朝日求人ウェブ(朝日新聞社)就職・転職ニュース|date=2011-08-07|archiveurl=https://archive.is/20140211222900/http://www.asakyu.com/column/?id=1031|archivedate=2014年2月11日|accessdate=2014-02-12|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。レコーディングではボーカル・[[コーラス (ポピュラー音楽)|バックコーラス]]のほか、編曲から[[ギター]]、コンピューターの[[打ち込み]]、[[シンセサイザー]]、[[パーカッション]]まで[[マルチプレイヤー (音楽)|1人で手掛けている]]。すべての演奏を1人で行っている楽曲もある。特にギターの[[ミュート (ギター)#カッティング|リズムカッティング]]を得意としている{{Refnest|group="注"|好きなギタリストとして[[:en:Buzz Feiten|バジー・フェイトン]]や[[スティーヴ・クロッパー]]を挙げ、一番のお気に入りは[[:en:Reggie Young|レジー・ヤング]]だという}}。アコースティック感の強い作風を持ち味とするが、最新技術を活用する方針のため、アナログからデジタルまでカバーする幅広いノウハウを持つ。
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== 経歴 ==
;1953年
*2月4日、[[池袋駅]]西口界隈で[[居酒屋]]を経営していた両親の間に生まれ、一人っ子として育
;1959年
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;1966年
*1月末、一家は[[練馬区]][[平和台 (練馬区)|平和台]]に転居。どうしても商売がしたいという父親の意向で「菓子屋」を営む。転校はせず、越境通学となった。
*中学2年生の時、友人らとアマチュア・バンド「ディー・バウエルン」を結成。編成はドラムス、ベース、ギター2本。後にキーボードも加わるが、山下は[[ドラムセット|ドラムス]]を担当。当時としては珍しい、全員ボーカルというコーラス・グループだった。
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