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Lovetokio (会話 | 投稿記録)
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== 特徴 ==
[[File:Kaiten Type 4 side view at USS Bowfin Museum- Pearl harbor.jpg|thumb|250px|回天四型。[[ハワイ]]のUSSボーフィン潜水艦博物館に展示。]]
「回天」という名称は、特攻部長[[大森仙太郎]]少将が[[幕末]]期の[[軍艦]]「[[回天丸]]」から取って命名した<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 334頁</ref>。開発に携わった[[黒木博司]]中尉は「天を回らし戦局を逆転させる(天業を既倒に挽回する)<ref name="叢書九八387a" />」という意味で「回天」という言葉を使っていた<ref>[http://www.jiji.com/jc/v4?id=kaiten0002 時事ドットコム:人間魚雷「回天」の島 2/7] 時事ドットコム</ref>。秘密保持のため付けられた'''〇六'''(マルロク)、'''{{囲み文字|六|&#x20dd;}} '''(○の中に六)'''金物'''(マルロクかなもの)<ref name="叢書百二330、回天" /><ref name="叢書九八386" />、'''的'''(てき)との別称もある。
 
1944年(昭和19年)7月に2機の試作機が完成し、11月20日のウルシー環礁奇襲で初めて実戦に投入された<ref name="叢書百二402、玄作戦">[[#叢書102|戦史叢書102巻]]、401頁「玄作戦」</ref>。終戦までに420基が生産された<ref>戦史叢書88海軍軍戦備(2)開戦以後 5-6頁</ref>。兵器としての採用は1945年(昭和20年)5月28日のことだった<ref name="叢書百二330、回天" /><ref name="公報142">{{アジア歴史資料センター|C12070204800|昭和17年8月10日.昭和20年7月13日 内令及び海軍公報(軍極秘)/昭和20年6月/昭和20年6月1日(金)海軍公報 第一四二號(甲配付) p.1}}「内令兵第二五號(軍極秘) 回天、海龍及蛟龍ヲ兵器ニ採用ス 昭和二十年五月二十八日 海軍大臣」</ref>。