「遠山友忠」の版間の差分

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美濃国[[恵那郡]]の領主[[遠山友勝]]の子として生まれた。
 
本家筋の[[岩村遠山氏]]から[[苗木遠山氏]]に入った[[遠山直廉]]が[[元亀永禄]]312年([[15721569年]])5月18日に戦傷死する{{sfn|加藤護一|1926|p=152}}と、父遠山友勝が織田信長の命でこれを継いで苗木城主となったことから、友忠が飯羽間城主となった<ref name="p95">{{Harvnb|堀田|1923|loc=p.95}}</ref>。
 
友忠はその後、飯羽間城を長男[[遠山友信|友信]]<ref>庶長子とされる。</ref>に任せて、自らは[[阿寺城|明照城]](あてらじょう)に移っていたが、父友勝が亡くなったので、明照城を次男[[遠山友重|友重]]に任せて、自らは三男(嫡男)[[遠山友政|友政]]をつれて苗木城に入った<ref name="p154155">{{Harvnb|加藤護一|1926|loc=pp.154-155}}</ref>。苗木では領主が友勝・友忠と一年の内に相次いで代わったので、人心が乱れて国人[[一揆]]が発生したが、友忠は厳しく鎮圧した<ref>{{Harvnb|加藤護一|1926|loc=p.155}}</ref>。