「陰陽師」の版間の差分

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'''陰陽師'''(おんみょうじ、おんようじ)は、古代[[日本]]の[[律令制]]下において[[中務省]]の[[陰陽寮]]に属した[[官職]]の1つで、[[陰陽五行思想]]に基づいた[[陰陽道]]によって[[筮竹|占筮]](せんぜい)及び[[地相]]などを職掌とする[[方技]](技術系の[[官人]]。[[技官]])として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて[[占術]]など方術や、[[祭祀]]を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、[[声聞師]]と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的[[祈祷]]や占術を行う者を称し<ref>[http://www.excite.co.jp/world/j_dictionary/ITEM-DJR_onnyou_-030-_zi_-01/ おんようじ[陰陽師]] [[大辞林]] 第三版</ref>、中には[[神職]]の一種のように見られる者も存在する。
 
なお、本来は「おんようじ」と訓んだが現代は専ら「おんみょうじ」と訓まれ、これは「おんようじ」が[[連声|連声化]]して「おんみょうじ」となった(「[[:wikt:en:陰|陰]]」は[[中古音|中国語中古音]]で「*ʔi̯ə'''m'''」、[[中世日本語]]音で「*wo'''m'''」なので、連声化すると[[ま行]]の音になる)ものとされ、また「'''お'''んみょうじ」と先頭を強調する発音が定着しているが、かつては「お'''ん'''みやうぢ」と2音目に[[揚音]]があったと言われている{{要出典|date=2011年9月}}。宇井宇委付
 
== 歴史 ==
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[[第二次世界大戦]]後、旧明治法令・通達の廃止にともない陰陽道を禁止する法令が公式に廃止されて以降、かつて陰陽師が用いていた暦注のひとつである[[六曜]](本来は「[[六輝]]」と言う、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口のこと)が、十二直よりも好まれ[[カレンダー]]や[[手帳]]などのスケジュール表示の一部として広く一般に用いられているようになっているが、これはあくまで補助的な暦注としてのみ使用されるにとどまっている。占術や暦については[[九星占術]]を基本とする[[神宮館]]([[東京都]][[上野区]])による[[高島易断]]・[[高島暦]]が比較的よく使用されているが、この術式は陰陽道とは言い難い。
 
現在では、自分自身の行動指針全般を陰陽道または陰陽師の術式に頼る人はほとんど見られず、かつて興隆を誇った陰陽道または陰陽師の権威の面影はなく、土御門家が旧領若狭国名田庄である[[福井県]]西部の[[おおい町]](旧[[名田庄村]])に[[天社土御門神道本庁]]の名で、平安時代中・後期の陰陽道とはかけ離れてはいるものの陰陽家として存続しているほか、[[高知県]][[香美市]](旧[[物部村 (高知県)|物部村]])に伝わる[[いざなぎ流]]などの地域陰陽師の名残が若干存続しているのみであるが、平安時代の宗教化・呪術化した陰陽師が持つオカルティックなイメージをもとに、その超人性や特異性を誇張した様々な創作作品やキャラクターが生まれて、とりわけ[[平成]]初頭の10年間([[1990年代]]後期から[[2000年代]]前期)にかけては陰陽師が[[流行|ブーム]]となり、多くの作品が作られた(具体例は「[[陰陽師に関係する創作一覧]]」を参照)。又、政界の陰陽師を名乗った[[富士谷紹憲]]がいる。
 
== 陰陽道の祭祀概略 ==