「サム・ペキンパー」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
ゲッタウェイに脚注 |
ウォルター・ヒルを追加。タグの更新。 |
||
1行目:
{{参照方法|date=2018-08-25}}
{{ActorActress
| 芸名 = Sam Peckinpah
28行目:
| 備考 =
}}
'''サム・ペキンパー'''('''Sam Peckinpah''', [[1925年]][[2月21日]] - [[1984年]][[12月28日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[映画監督]]。代表作に『[[
本国アメリカではその残酷な作風から「血まみれのサム」(原文:Bloody Sam)と呼ばれた。
== 経歴 ==
39行目:
ペキンパーが初めて監督した劇場映画は、『[[荒野のガンマン]]』([[1961年]])である。翌年に公開された『[[昼下りの決斗]]』([[1962年]])で監督としての力量を認められたものの、『[[ダンディー少佐]]』([[1965年]])<ref>[[ハーマン・メルヴィル]]の『[[白鯨]]』と比較されることがあり、ダンディーがエイハブ船長、タイリーンがスターバック、ライアンがイシュメイル、チャリバが白鯨だという。</ref>では編集権をめぐりプロデューサーと衝突、以後しばらく映画界から干されてしまった。しかしテレビ映画『昼酒』([[1966年]])での優れた演出が認められ、無事復帰することになる。
『[[ワイルドバンチ]]』([[1969年]])では、[[スローモーション]]撮影を多用とした独特のバイオレンス描写で[[アクション映画]]に新境地を切り開いた。その反面、一般客や保守的な批評家からは、その過激な暴力表現に対する批判を招いた。『[[砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード]]』([[1970年]])はペキンパーによってベスト・フィルムであることを宣言された作品であり、彼の穏やかな一面が見られる。『[[わらの犬]]』([[1971年]])はペキンパー作品でも特に暴力描写が激しい作品で、公開後物議を醸した。『[[ゲッタウェイ]]』<ref>http://www.imdb.com/title/tt0068638/</ref>([[1972年]])は人気俳優[[スティーブ・マックイーン]]を主役に、アリ・マッグロウを共演に迎え初の大ヒットを記録
『[[ビリー・ザ・キッド/21才の生涯]]』([[1973年]])は歌手、[[ボブ・ディラン]]が音楽を担当していることで話題になった。ペキンパー本人も棺桶屋の役で出演している。『[[ガルシアの首]]』([[1974年]]) はアメリカでは惨敗したが、日本ではヒットした。しかしその次の監督作品『[[キラー・エリート (1975年の映画)|キラー・エリート]]』([[1975年]])『[[戦争のはらわた]]』([[1977年]])もアメリカでは興行的にいまひとつだったが、ヨーロッパや日本では
監督として精力的に活動を続ける半面、ペキンパーの体は徐々にアルコールや麻薬で蝕まれていた。『[[コンボイ (映画)|コンボイ]]』([[1978年]])はペキンパーのキャリアで最大のヒット作となったものの、映画の出来は今一つであり、撮影中にスタジオで見せた
[[1984年]]12月28日に59歳で死去。死因は[[心不全]]だった。
== 監督としての特徴 ==
バイオレンス映画、アクション映画の
予算やスケジュールを度外視してまで作品の完成度を追求し、気に入らないことがあれば関係者を容赦なく叱咤した。そのため製作者や出演者と事あるごとに衝突し、特に晩年は会社側からは扱いづらい監督として冷遇され続けた。また、私生活でも「過度の飲酒や麻薬常用」などの問題を抱えていた。それは誰にも自分の感情を理解してもらえない、孤独な寂しさの表れであったとも言える。ペキンパーの作品は、トラブルメーカーだった本人自身の経験や人生が色濃く反映したものだった。ペキンパー映画の常連俳優である[[L・Q・ジョーンズ]]は、同じ内容の作品を14本も撮ったと語った。それぐらいペキンパーの作品は、彼自身の性格を表したような作品が多いということである。
68行目:
*ラジオ番組『[[スカパー! 日曜シネマテーク]]』にコメント出演した[[辻仁成]]は自身の「映画ベスト3」を選ぶ企画で、ペキンパー『[[わらの犬]]』を自身の映画ベスト3に選んだ<ref>http://www.tfm.co.jp/movie/index.php?itemid=123013&catid=1737&catid=1737</ref>。
*[[俳優]]の[[長塚京三]]は著書『破顔』でペキンパーや[[アーネスト・ボーグナイン]]や[[ウォーレン・オーツ]]といったペキンパー組の役者にリスペクトを捧げている<ref>『破顔』2007年、3月8日、[[清流出版]]。70-77p,83p-95p,125p,137p</ref>。
*
== 作品 ==
95行目:
*[[1979年]] 『訪問者』 - ''The Visitor'' 出演
*[[1983年]] 『[[バイオレント・サタデー]]』 - ''The Osterman Weekend'' 監督
== 関連項目 ==
*[[西部劇]]
*[[ウォルター・ヒル]]
== 脚注 ==
|