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==== 2006年 - 2009年 BMWワークスとして====
{{main|BMWザウバー}}
;[[2006年のF1世界選手権|2006年]]
:BMWワークス初年度としてのこの年、チーム名は'''[[BMWザウバー]]'''となり、「ザウバー」の名前が残されることとなった。このため、FIAは「ザウバー」と「BMWザウバー」は同一のチームとして扱い、チームとしての記録も引き継がれている。ペーター・ザウバーは代表を退き、コンサルタントとしてチームに残留した。後任のチーム代表は置かれず、[[マリオ・タイセン]]がBMWの「モータースポーツ部長」の肩書のまま、チームの指揮を採ることになった。なお、コンストラクター登録は「ザウバー・BMW」となっている。
:ハイドフェルドが2003年以来チームに復帰。当初は2007年からの契約であったが、ウィリアムズが契約を解除したため1年前倒ししての加入となった。2005年末に発表されたエントリーリストにヴィルヌーヴの名前は載らなかった。これにより、セバスチャン・ブルデーなどの若手ドライバーの起用が予想されたが、ヴィルヌーヴ自身が同意しない限り解雇することはできない契約であったことから、他のドライバーの起用を諦め、年明けになってヴィルヌーヴの残留を発表した。
:開幕戦はノーポイントに終わるも第2戦マレーシアグランプリではヴィルヌーヴが7位に入り、新体制での初ポイントを記録した。第3戦オーストラリアグランプリではダブル入賞を果たすとその後はハイドフェルドを中心にコンスタントにポイントを獲得していった。しかしBMWの母国である第12戦ドイツグランプリではヴィルヌーヴがハイドフェルドに追突するという失態を犯し、両者がリタイヤに終わってしまった。このクラッシュの後遺症によりヴィルヌーヴは第13戦ハンガリーグランプリを欠場、代わってテストドライバーのロバート・クビサがレースを走った。ハンガリーGP史上初のウエットレースとなった決勝ではハイドフェルドが新体制として初となる3位表彰台を獲得した。デビュー戦のクビサも7位で完走するも最低重量違反で失格となってしまった。その後ヴィルヌーヴは正式にチームを去り、結局クビサはシーズン終了までステアリングを握ることとなった。第15戦イタリアグランプリではデビュー3戦目にして3位表彰台を獲得している。
:最終的にチームはランキング5位でシーズンを終えた。前年の成績を一気に改善しただけでなく、BMWの前年までのパートナーであったウィリアムズを上回ったという点で大成功と言えるシーズンとなった。
;[[2007年のF1世界選手権|2007年]] - [[2009年のF1世界選手権|2009年]]
:「BMW(2007年)」・「BMWザウバー(2008年・2009年)」としてコンストラクター登録された。
 
=== 2010年代 ===