「投石器」の版間の差分

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鎧の防御力や騎兵の運用技術の向上、[[複合弓]]や[[弩]]などの強力な弓矢の登場などによって[[4世紀]]頃に投石兵の地位は衰退し始め、[[中世]]には投石器は次第に使われなくなったが、[[17世紀]]までは[[榴弾]]を投げるのに使われることがあった。
 
中国では[[漢]]代の墓の壁に細い紐を投弾につけて、弓で馬の群れに向かって飛ばす場面が描かれている(甲元真之 山崎純男 『弥生時代の知識 考古学シリーズ5』 東京美術 1984年 pp.124 - 126)。この他、南米の[[ボーラ (武器)]]では、革紐の両端につけて投げる(同書 p.124)、ミクロネシア部族の石弾の形状は弥生期日本と同様のラグビーボール状であり、投石帯を用いる(同書 p.125に図あり)。
 
日本でも「投弾帯」と呼ばれるスリングと同形態の兵器が[[弥生時代]]の遺跡から出土している。