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{{基礎情報 公家
'''源 頴'''(みなもと の ひいず/ひで、生年不詳 - [[元慶]]3年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]([[879年]][[11月16日]]))は、[[平安時代]]初期から前期にかけての[[貴族]]。[[嵯峨源氏]]、[[左大臣]]・[[源常]]または[[参議]]・[[源明]]の子。[[官位]]は[[従四位|従四位下]]・[[但馬国#国司|但馬権守]]。
| 氏名 = 源頴
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[平安時代]]初期 - 前期
| 生誕 = 不明
| 死没 = [[元慶]]3年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]([[879年]][[11月16日]])
| 改名 =
| 別名 =
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 =
| 墓所 =
| 官位 = [[従四位|従四位下]]・[[但馬国#国司|但馬権守]]
| 主君 = [[仁明天皇]]→[[文徳天皇]]→[[清和天皇]]→[[陽成天皇]]
| 氏族 = [[嵯峨源氏]]
| 父母 = 父:[[源常]]または[[源明]]
| 兄弟 = <small>常の子の場合</small>[[源興|興]]、'''頴'''、[[源直|直]]、相、備<br/>養兄弟:''[[源啓|啓]]''<br/><small>明の子の場合</small>[[源舒|舒]]、[[源建|建]]、'''頴'''、遠
| 妻 =
| 子 =
| 特記事項 =
}}
 
'''源 頴'''(みなもと の ひいず/ひで、生年不詳 - [[元慶]]3年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]]([[879年]][[11月16日]]))は、[[平安時代]]初期から前期にかけての[[貴族]]。[[嵯峨源氏]]、[[左大臣]]・[[源常]]または[[参議]]・[[源明]]の子。[[官位]]は[[従四位|従四位下]]・[[但馬国#国司|但馬権守]]。
 
== 経歴 ==
[[仁明天皇|仁明朝]]末の[[嘉祥]]3年([[850年]])正月に[[従五位|従五位下]]に[[叙爵]]し、同年5月の[[御斎会]]では[[百済王教福]]とともに[[元興寺]]使を務める<ref>『[[日本文徳天皇実録]]』嘉祥3年5月3日条</ref>。[[天安 (日本)|天安]]元年([[857年]])[[侍従]]に任ぜられると、[[文徳天皇|文徳朝]]末にかけて[[宮内省|宮内少輔]]・[[刑部省|刑部少輔]]と京官をを歴任する。
 
[[清和天皇|清和朝]]に入ると、天安3年([[859年]])[[伊予国#国司|伊予権介]]次いで[[備前国#国司|備前介]]と地方官に転じ、同年従五位上に昇叙される。また同年12月には、かつて刑部少輔を務めていた際に、前[[越後国#国司|越後守]]・[[伴竜男]]や前[[豊後国#国司|豊後守]]・[[石川宗継]]ら多数の罪人を濫りに放免していたことが問題となるが、頴をはじめ刑部省の諸[[官人]]は刑部大丞・[[丹墀真総]]に唆されただけで同情の余地があるとして罪を免れている<ref>『[[日本三代実録]]』貞観元年12月27日条</ref>。
 
その後、[[貞観 (日本)|貞観]]7年([[865年]])[[民部省|民部少輔]]に任ぜられ一時的に京官に復すが、翌貞観8年([[866年]])には[[美濃国#国司|美濃守]]に転じ、のち[[信濃国#国司|信濃守]]・[[大和国#国司|大和守]]を務めるなど、清和朝では主に地方官を務め、[[位階]]は[[正五位|正五位下]]に至った。
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{{DEFAULTSORT:みなもと の ひいす}}
[[Category:嵯峨源氏|ひいす]]
[[Category:平安時代初期の貴族]]
[[Category:平安時代前期の貴族]]