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'''ブラヒム・ブタイブ'''({{lang-ar|مولاي ابراهيم بوطيب}}、[[ローマ字]]:Moulay Brahim Boutayeb、[[1967年]][[8月15日]] - )は、[[モロッコ]]の陸上競技選手。1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍した男子中長距離選手。1988年[[1988年ソウルオリンピックにおける陸上競技|ソウルオリンピック]]の金メダリストである。[[ケミセット]]出身。
 
== 経歴 ==
ブタイブは、1988年の[[1988年ソウルオリンピック]]の[[10000メートル競走|10000m]]に出場するまでは無名の選手で、10000mよりむしろ[[5000メートル競走|5000m]]のランナーと見られていた。
 
ソウルオリンピックの10000mは、スタートから、[[ケニア]]の[[キプケンボイ・キメリ]]と[[モーゼス・タヌイ]]の2人が世界新記録ペースで引っ張り、5000m通過時点で先頭集団は少人数となっていた。ここからブタイブは先頭に立つと、後続を突き放し世界記録ペースのまま独走態勢に入る。ラスト1周の鐘が鳴り若干ペースが落ちたものの、27分21秒46の世界歴代4位のタイムで金メダルを獲得した。
 
ブタイブは、ソウルオリンピックの後、再び1500mから5000mを中心にレースに出場することとした。1991年の[[東京]]の[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]では、ケニアの[[ヨベス・オンディエキ]]、[[エチオピア]]の[[フィタ・バイエサ]]に次いで銅メダルを獲得。1992年の[[1992年バルセロナオリンピックにおける陸上競技|バルセロナオリンピック]]の5000mでは、ラスト混戦の末、13分13秒27で、金メダルの[[ドイツ]]の[[ディーター・バウマン]]から0秒75差、銅メダルのバイエサからはわずか0秒24差の4位でメダルを逃した。
ブタイブは、1993年の[[1993年世界陸上競技選手権大会|世界選手権]]の5000mで予選落ちした後は、陸上競技選手から[[ラリー]]ドライバーに転向した。
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|1988
|[[1988年ソウルオリンピックにおける陸上競技|オリンピック]]
|[[ソウル特別市|ソウル]]([[大韓民国|韓国]])
|10000m
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|1992
|[[1992年バルセロナオリンピックにおける陸上競技|オリンピック]]
|[[バルセロナ]]([[スペイン]])
|5000m