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== 沿革 ==
=== 日本石油 ===
* [[1888年]]([[明治]]21年)
** [[5月10日]] - '''有限責任日本石油会社'''が発足。本社は[[新潟県]][[刈羽郡]]石地村(現・[[柏崎市]][[西山町 (柏崎市)|西山町]]石地)。
** [[9月28日]] - 本社を新潟県[[三島郡 (新潟県)|三島郡]]尼瀬村(現・三島郡[[出雲崎町]]尼瀬)に移転。
* [[1890年]](明治23年)12月 - 尼瀬製油場が操業開始。
* [[1894年]](明治27年)[[1月8日]] - '''日本石油株式会社'''に改組。
* [[1895年]](明治28年)[[6月16日]] - 新潟鐵工所が発足([[1896年]][[5月8日]]操業開始)。
* [[1899年]](明治32年)
** [[6月25日]] - 第二製油所が操業開始。
** [[8月1日]] - 本社を刈羽郡大洲村大久保(現・柏崎市大久保)に移転。尼瀬製油場を第一製油所に改称。
* [[1903年]](明治36年)6月25日 - 第一製油所閉鎖。
* [[1907年]](明治40年)
** [[2月1日]] - 鷲田製油所を買収、新津製油所(初代)とする。第二製油所を柏崎製油所(初代)に改称。
** [[4月17日]] - 新潟市内に新潟硫曹製造所を開設。
** [[4月20日]] - 柏崎製油所隣接地に柏崎硝子製造所を開設。
** [[6月1日]] - インターナショナル石油の新潟県の全資産を買収(同年[[6月12日]]に同社製油所が直江津製油所として発足)。
* [[1909年]](明治42年)12月 - 柏崎硝子製造所休止。
* [[1910年]](明治43年)
** [[6月17日]] - 新潟鐵工所を分離し、株式会社[[新潟鐵工所]]を設立。
** [[7月18日]] - 秋田製油所が発足(同年[[11月22日]]操業開始)。
* [[1911年]](明治44年)[[2月6日]] - インターナショナル石油の北海道の全資産を買収。
* [[1912年]](明治45年)[[4月13日]] - 北海道製油所が発足(同年10月操業開始)。
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[8月3日]] - 本社を[[東京市]][[麹町区]]有楽町(後の[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]])の[[三菱21号館]]に移転。
* [[1915年]](大正6年)[[7月1日]] - 柏崎製油所内に化学研究所を開設。
* [[1917年]](大正6年)
** [[1月31日]] - 新潟硫曹製造所を閉鎖・売却。
** [[11月21日]] - 新津製油所(初代)閉鎖。
* [[1919年]](大正8年)2月 - 初のガソリンスタンドを東京神田に開設。
* [[1920年]](大正9年)[[1月10日]] - 中央石油株式会社(1907年7月29日設立)を買収。
* [[1921年]](大正10年)[[10月1日]] - 宝田石油株式会社と合併。新潟製油所(旧・沼垂製油所)、柏崎製油所柏崎分工場(旧・柏崎製油所)、秋田製油所豊川支所(旧・豊川製油所)、秋田製油所道川支所(旧・道川製油所)、秋田製油所二田分工場(旧・秋田製油所)、新津製油所(2代目)、台湾製油所(旧・苗栗製油所)、試験所を継承。化学研究所を試験所に統合。
* [[1922年]](大正11年)
** [[5月31日]] - 直江津製油所休止。
** [[6月30日]] - 柏崎製油所(初代)閉鎖。
** 7月1日 - 旧宝田石油の柏崎分工場が柏崎製油所(2代目)に改称。
** 7月末 - 本社ビル「[[日石ビルディング|有楽館]]」が完成。
** [[12月31日]] - 秋田製油所豊川支所、直江津製油所閉鎖。
* [[1923年]](大正12年)
** 3月31日 - 秋田製油所二田分工場閉鎖。
** [[5月21日]] - 鶴見製油所発足([[1924年]][[6月16日]]操業開始)。
* [[1926年]](大正15年)[[2月28日]] - 新津製油所(2代目)休止([[1928年]][[7月26日]]閉鎖)。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)3月31日 - 秋田製油所道川支所閉鎖。
* [[1929年]](昭和4年)5月10日 - 下松製油所発足([[1930年]][[4月10日]]操業開始)。
* [[1934年]](昭和9年)[[2月2日]] - 道路部門を分離、日本舗道株式会社(現・株式会社[[NIPPO]])を設立。
* [[1936年]](昭和11年)[[12月1日]] - 関西製油所発足([[1937年]][[5月24日]]操業開始)。
* [[1939年]](昭和14年)
** 9月2日 - 販売部門を石油共販株式会社に譲渡、石油精製専業に。
** 11月 - 試験所閉鎖。
* [[1940年]](昭和15年)12月30日 - 和田製油所(新潟県)を買収。
* [[1941年]](昭和16年)
** 1月28日 - 北村製油所(千葉県)を買収。
** 6月1日 - 小倉石油株式会社と合併。横浜製油所、東京製油所、中央研究所を継承。
* [[1942年]](昭和17年)
** 4月1日 - 鉱業部門を[[帝国石油]]株式会社(現・[[国際石油開発帝石]])に譲渡。
** 6月1日 - 愛国石油株式会社を吸収合併。長岡製油所、川崎製油所を継承。
** 12月30日 - 諸橋製油所(秋田県)を買収。
* [[1943年]](昭和18年)
** [[11月30日]] - 長岡製油所閉鎖。
** [[12月15日]] - 川崎製油所閉鎖。
* [[1944年]](昭和19年)
** [[8月25日]] - 高雄製油所発足。台湾製油所を苗栗製油所に改称。
** [[9月1日]] - 末武製油所発足。
* [[1945年]](昭和20年)
** [[6月30日]] - 東京製油所閉鎖。
** [[8月15日]] - 苗栗製油所、高雄製油所閉鎖。
** [[10月5日]] - 末武製油所、上海製油所閉鎖。
** [[10月22日]] - 本社有楽館が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に接収、本社機能を東京都内に分散。
** [[12月20日]] - 中央研究所を中央技術研究所に改称。
* [[1946年]](昭和21年)[[6月4日]] - 本社を[[三菱仲5号館]]に移転。
* [[1947年]](昭和22年)[[1月20日]] - 東京製油所跡地に東京工場を開設。
* [[1949年]](昭和24年)
** 2月28日 - 鶴見製油所、関西製油所閉鎖。
** 4月1日 - 石油元売業者として営業再開。
** [[5月16日]] - 株式上場。
* [[1950年]](昭和25年)
** 1月20日 - 東京工場閉鎖。
** 6月 - 北海道製油所休止([[1957年]]12月31日閉鎖)。
* [[1951年]](昭和26年)
** [[7月23日]] - 東京タンカー株式会社(現・JXオーシャン)を設立。
** [[10月1日]] - アメリカのカルテックス社(現・[[シェブロン]])との折半出資で日本石油精製株式会社(現・[[JXエネルギー]])を設立、横浜製油所・下松製油所を譲渡。
* [[1955年]](昭和30年)
** [[2月3日]] - 日本石油瓦斯株式会社(後の新日本石油ガス)を設立。
** [[8月11日]] - 日本石油化学株式会社(現・[[JXTGエネルギー]])を設立。
* [[1956年]](昭和31年)7月23日 - 本社を「日石ビル」(旧・有楽館)に移転。
* [[1957年]](昭和32年)[[10月21日]] - 和信商事株式会社(現・JXトレーディング)を設立。
* [[1959年]](昭和34年)[[10月10日]] - 日石不動産株式会社(現・新日石不動産)を設立。
* [[1960年]](昭和35年)[[4月1日]] - 日本加工油株式会社(後の新日本石油加工)を設立。
* [[1962年]](昭和37年)[[8月13日]] - 「[[日石本館]]」(現・新日本石油ビル)が東京都港区芝田村町(現・西新橋)に完成、同ビルに本社を移転。
* [[1966年]](昭和41年)[[3月21日]] - 柏崎製油所(2代目)を柏崎工場に改称。
* [[1967年]](昭和42年)
** [[3月1日]] - 日本石油基地株式会社(現・[[JX喜入石油基地]])を設立。
** [[7月19日]] - [[日本海石油]]株式会社を設立。
** 11月1日 - 柏崎工場を日本加工油に譲渡。
* [[1970年]](昭和45年)4月1日 - 秋田製油所を日本石油加工に譲渡。
* [[1982年]](昭和57年)7月20日 - 新シンボルマーク「サンライズ」を制定。
* [[1984年]](昭和59年)11月30日 - [[三菱石油]]と提携。
* [[1988年]](昭和63年)7月 - 無鉛100オクタンガソリン「ダッシュレーサー100ガソリン」発売。
* [[1991年]]([[平成]]3年)
** 6月26日 - 資源開発子会社の業務を統括する日本石油開発株式会社(現・[[JX石油開発]])を設立。
** 同年度 - 給油所のカラーリングをパステルグリーンに変更し、従来の「日本石油」ロゴに代わり、ローマ字表記の「NiSSEKI」をブランド名として使用開始<ref>[http://www.noe.jx-group.co.jp/ayumi/1990-2000.html あたらしいENEOS誕生までのあゆみ 1990・2000年代]。なお、一部店舗ではENEOSに統一されるまで従来のカラーリングのままであった。2016年現在でも店舗の柱や、当時のタンクローリーにおいてNiSSEKI及び日本石油の名称が残されている場合もある。</ref>。
* [[1996年]](平成8年)4月 - カルテックス社が所有する日本石油精製の全株式を取得、100%子会社とする。
 
=== 三菱石油 ===
* [[1931年]]([[昭和]]6年)
** [[2月14日]] - '''三菱石油株式会社'''設立。
** [[12月]] - 川崎製油所が操業開始。
* [[1952年]](昭和27年)[[1月28日]] - 株式上場。
* [[1961年]](昭和36年)[[5月16日]] - 水島製油所が操業開始。
* [[1968年]](昭和43年)[[7月8日]] - [[新日本石油精製|東北石油株式会社]]を設立。
* [[1973年]](昭和48年)
** [[4月27日]] - 丸善石油(現・[[コスモ石油]])と共同で[[沖縄石油基地|沖縄石油基地株式会社]]を設立。
** 12月 - 給油所のカラーリングを“青空にくっきり映えるオレンジ色”をベースにしたものに変更(ただし、直前に発生した第一次オイルショックの影響から全面的な展開が延期となったほか、1980年代の終わりごろにデザインのマイナーチェンジが行われている)<ref>[http://www.noe.jxtg-group.co.jp/ayumi/1970-1980.html あたらしいENEOS誕生までのあゆみ 1970・1980年代]</ref>
* [[1984年]](昭和59年)[[11月30日]] - 日本石油と提携。
* [[1992年]]([[平成]]4年)[[3月20日]] - [[富士興産]]と共同出資で[[和歌山石油精製|和歌山石油精製株式会社]]を設立。
* [[1995年]](平成7年)3月 - 給油所のカラーリングをヤンググリーンと明るいイエローの組み合わせをベースとしたものに変更<ref>[http://www.noe.jxtg-group.co.jp/ayumi/1990-2000.html あたらしいENEOS誕生までのあゆみ 1990・2000年代]</ref>
 
=== 日石三菱→新日本石油 ===
* [[1999年]](平成11年)
** [[4月1日]] - 日本石油が[[三菱石油]]を合併し、'''日石三菱株式会社'''に商号変更。新潟製油所を日本石油加工に譲渡。
** 7月 - 水島製油所を日本石油精製に譲渡。
** 9月 - [[新日本石油精製|興亜石油]]株式会社を子会社化。
** 10月 - コスモ石油と、原油調達・精製・物流・潤滑油の各部門で業務提携。
** 10月1日 - 川崎製油所が川崎事業所に改称。
* [[2001年]](平成13年)
** 3月31日 - 和歌山石油精製海南製油所での原油処理を停止。
** [[7月1日]] - ブランド名を「NiSSEKI」から「ENEOS」に統一<ref>合併からENEOSブランドへの統一までは旧看板のままの営業であった(合併以後に建てられた店舗および旧日石系販売店は日石のペイント、旧三菱系販売店は三菱のペイントではあったが「NiSSEKI」や「三菱石油」の部分が「日石三菱」に差し替えられていた(合併以後に建て替えられた店舗でも旧三菱系販売店の場合、三菱タイプのペイントとなっていた。))。ENEOSブランドへ統一後もサインポールが旧日石系は正方形、旧三菱系は縦長の長方形で合併前の名残が見られるが、徐々に旧三菱系のサインポールも交換の際に正方形に変わっている。また、給油機に貼り付けてある燃料油名のシールも例として、旧日石系はハイオク:赤、レギュラー:青、軽油:緑、灯油:黄、旧三菱系はハイオク:黄緑・レギュラー:赤・軽油:紺・灯油:オレンジの配色で名残が見られるが、新規オープン及びリニューアル販売店やセルフ式スタンド等ではハイオク:黄、レギュラー:赤、軽油:緑、灯油:紺の配色となっていた(現在、旧日石系、旧三菱系の販売店に関わらず徐々にこの配色に変わってきている。)。尚、2002年4月よりハイオクはセルフ式スタンドを除き「ヴィーゴ」を記して販売している。</ref>。2016年現在、NiSSEKIの名称は一部のENEOSブランドのオートガスステーションに使われオレンジと赤でNISSEKI GASとペイントされている。また、希に旧日石やNiSSEKI時代の青やエメラルドのタンカーを目にすることもある。
** [[10月1日]] - 石油・天然ガス資源開発部門を日本石油開発に譲渡。
* [[2002年]](平成14年)
** [[4月1日]] - 新日本石油精製が東北石油・興亜石油を合併。
** [[6月27日]] - '''新日本石油株式会社'''に商号変更。
* [[2004年]](平成16年)[[3月31日]] - 富士興産の潤滑油事業を譲受け。
* [[2005年]](平成17年)7月1日 - 新日本石油ガスを合併。
* [[2006年]](平成18年)10月1日 - 新日本石油加工が新日本石油精製に合併、同社から秋田事業所・下松事業所を移管。
* [[2008年]](平成20年)
** 4月1日 - 三洋電機と合弁で定置用燃料電池事業にかかわる新会社「ENEOSセルテック」を設立。出資比率81%。
** 10月1日 - [[九州石油]]の大分製油所における石油精製事業・付帯関連事業を分割し子会社の[[新日本石油精製]]に承継させた上で、九州石油を吸収合併<ref>なお、旧九州石油が行っていた[[コウノトリ]]放鳥支援事業については、新日本石油の[[企業の社会的責任|CSR]]事業として継承されている。</ref>。
* [[2009年]](平成21年)[[10月30日]] - 新日鉱ホールディングスとの経営統合契約を締結。2010年(平成22年)4月1日付けで共同持株会社『[[JXホールディングス]]』(現:[[JXTGホールディングス]])を設立。
 
=== 九州石油 ===
* [[1960年]]([[昭和]]35年)[[12月20日]] - 九州石油株式会社設立。
* [[1963年]](昭和38年)11月 - 大分製油所発足。
* [[1964年]](昭和39年)[[3月16日]] - 大分製油所操業開始。
* [[1986年]](昭和61年) - 給油所のカラーリングを、ストークブルー・ホワイト・ソリッドブルーの3色の組み合わせをベースとしたものに変更<ref>{{Cite web |url=https://www.noe.jxtg-group.co.jp/ayumi/1970-1980.html |title=新しい「ENEOS」誕生までのあゆみ|JXTGエネルギー |work=1970・1980年代 |publisher=JXTGエネルギー |accessdate=2018-05-26}}</ref>。
* [[2008年]]([[平成]]20年)[[8月]] - 新日本石油が自己株式を除く全株式を取得し、実質的に完全子会社化。
 
=== 日本鉱業 ===
* [[1905年]]([[明治]]38年)[[12月26日]] - [[久原房之助]]が赤沢銅山を買収、[[日立鉱山]]に改称させ、久原鉱業所を開設。鉱山の開発に着手。
* [[1908年]](明治41年)11月 - 製錬所(日立製錬所、現・JX金属日立事業所)操業開始。
* [[1912年]](明治45年)[[9月18日]] - '''[[久原財閥|久原鉱業株式会社]]'''に改組。
* [[1916年]]([[大正]]5年)9月 - [[パンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所|佐賀関製錬所]](現・[[パンパシフィック・カッパー]]佐賀関製錬所)操業開始。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)3月 - 久原商事の経営破綻により危機に陥り、[[鮎川義介]]が2代目社長に就任。12月、'''日本産業株式会社'''に社名変更。
* [[1929年]](昭和4年)[[4月24日]] - 日本産業の鉱業部門が分離独立、'''日本鉱業株式会社'''を設立。
* [[1932年]](昭和7年) - [[尾小屋鉱山]]を[[横山鉱業部]]より買収する。
* [[1933年]](昭和8年)9月 - 原油生産開始。
* [[1939年]](昭和14年)3月 - 石油精製事業に進出、船川製油所(現・JXTGエネルギー船川事業所)買収。
* [[1943年]](昭和18年)4月 - [[日産化学工業|日産化学工業株式会社]]を合併。
* [[1945年]](昭和20年)4月 - 化学部門を日産化学工業として再分離。
* [[1950年]](昭和25年) - 金属加工事業開始、川崎工場(後の日鉱金属倉見工場川崎分工場)を新設。
* [[1961年]](昭和36年)6月 - 水島製油所(現・[[JXTGエネルギー水島製油所]])操業開始。
* [[1964年]](昭和39年)10月 - 倉見工場(現・JX金属倉見工場)操業開始。
* [[1965年]](昭和40年)2月 - 三日市製錬株式会社を合併、敦賀製錬所・三日市製錬所を継承。[[8月10日]]、 [[東亜石油]]・[[コスモ石油|アジア石油]]と共同で、共同石油株式会社を設立。
* [[1966年]](昭和41年)[[6月1日]] - 石油販売部門を共同石油へ譲渡。
* [[1969年]](昭和44年)4月 - 袖ヶ浦潤滑油工場操業開始。
* [[1979年]](昭和54年)[[12月25日]] - 東亜共石株式会社の経営権を譲受け、同社を知多石油株式会社に改称。
* [[1981年]](昭和56年)4月 - 銅箔事業を手がける子会社[[JX日鉱日石金属|日鉱グールド・フォイル株式会社(GNF)]]を設立。
* [[1983年]](昭和58年)[[7月1日]] - 知多石油を合併、知多製油所を移管。
* [[1985年]](昭和60年)4月 - 亜鉛・鉛精錬事業(敦賀製錬所・三日市製錬所)を日鉱亜鉛株式会社として分社化。5月、磯原工場(現・JX金属磯原工場)操業開始、電子材料事業に本格進出。
* [[1992年]]([[平成]]2年)5月 - [[日鉱金属|日鉱金属株式会社]]を設立。11月、金属製錬・金属事業・金属加工部門(佐賀関製錬所・日立工場・倉見工場・川崎工場)を日鉱金属に譲渡。
 
=== 共同石油 ===
* [[1965年]](昭和40年)8月10日 - 共同石油株式会社設立。
* [[1966年]](昭和41年)6月1日 - 日本鉱業・東亜石油・アジア石油の石油販売部門を集約、営業開始。8月、[[富士石油]]が共石グループに参加。
* [[1967年]](昭和42年)[[10月30日]] - [[鹿島石油]]を設立。
* [[1968年]](昭和43年)3月 - 川崎LPガス基地新設。
* [[1970年]](昭和45年)
** 4月 - 鹿島石油鹿島製油所操業開始。
** 5月 - アジア石油と共同でアジア共石株式会社を設立。
* [[1972年]](昭和47年)10月 - アジア共石坂出製油所(現・コスモ石油坂出製油所)操業開始。
* [[1973年]](昭和48年)[[6月8日]] - 東亜石油と共同で東亜共石株式会社を設立。10月1日、東亜共石名古屋製油所(現・[[JXTGエネルギー知多製造所]])操業開始。
* [[1979年]](昭和54年)[[12月18日]] - 東亜石油が共石グループ離脱([[昭和シェル石油|昭和石油]]グループに移行)、東亜共石の経営権は日本鉱業に譲渡。
* [[1981年]](昭和56年)[[9月30日]] - アジア石油が共石グループ離脱([[コスモ石油|大協石油]]グループに移行)、アジア共石の経営権は大協石油に譲渡。
* [[1987年]](昭和62年) - [[オリックス自動車|株式会社ジャパレン]]に資本参加。
* [[1989年]](平成元年)4月 - [[アイエスジャパン|アイエスジャパン株式会社]]を設立。12月、東亜石油への原油精製委託を終了。
* [[1990年]](平成2年)4月 - [[am/pm|株式会社エーエム・ピーエムジャパン]]を設立。
 
=== 日鉱共石→ジャパンエナジー ===
* [[1992年]]12月 - 日本鉱業と共同石油が合併(前者が存続会社)、'''株式会社日鉱共石'''に社名変更。
* [[1993年]]12月 - '''株式会社ジャパンエナジー'''に社名変更。ブランドネームを共石からJOMOに変更(店頭では翌1994年から使用を開始した)。
* [[1997年]]6月 - 船川製油所での原油処理を停止。
* [[1999年]][[7月1日]] - 電子材料製造部門(磯原工場)を[[JX日鉱日石金属|株式会社日鉱マテリアルズ]](旧・GNF)に譲渡。12月、鹿島石油を子会社化。
* [[2001年]]6月 - 知多製油所での原油処理を停止。
* [[2002年]][[9月27日]] - 日鉱金属と共同持株会社の[[新日鉱ホールディングス|新日鉱ホールディングス株式会社]]を設立。同社の上場に伴い上場廃止。
* [[2003年]][[4月1日]] - ジャパンエナジーはジャパンエナジー電子材料株式会社に社名変更。同時に石油部門を分離し新・'''株式会社ジャパンエナジー'''を設立。ジャパレンの株式を[[オリックス (企業)|オリックス株式会社]]に譲渡。[[10月1日]]、ジャパンエナジー電子材料(旧・ジャパンエナジー)が電子材料販売部門を日鉱マテリアルズに譲渡した上で、新日鉱ホールディングスに吸収合併。
* [[2004年]][[8月10日]] - [[am/pm|エーエム・ピーエムジャパン]]株式の一部を[[レインズインターナショナル|株式会社レインズインターナショナル]]へ売却し、同社は子会社から関連会社になる。
* [[2006年]][[6月26日]] - [[株主総会]]で[[定款]]を変更。同年[[6月28日]]より、[[公開会社でない株式会社|非公開会社]]化、[[取締役会]]・[[監査役会]]・執行役員会を廃止。
* [[2010年]]4月1日 - 親会社の新日鉱ホールディングスが[[新日本石油]]と株式移転を行い、共同持株会社JXホールディングス(現・[[JXTGホールディングス]])を設立。
 
=== JX日鉱日石エネルギー→JXエネルギー ===
* [[2010年]](平成22年)
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=== 歴代出演タレント ===
* [[伊藤つかさ]]
* [[麻倉未稀]]
* [[神田正輝]]
* [[所ジョージ]]
* [[笑福亭鶴瓶]]
* [[ザ・ドリフターズ]]
* [[星野一義]]
* [[マイケル・ウィンスロー]]
* [[鶴田真由]]
* [[大沢たかお]]
* [[中谷美紀]]
* [[星飛雄馬]]
* [[globe]]
* [[遠藤久美子]]
* [[ブルース・ウィリス]]
* [[竜雷太]]
* [[TOKIO]] - ENEOS灯油のCMは[[山口達也 (ジャニーズ)|山口達也]]が単独で出演
* [[貴乃花光司]]
* [[河野景子|花田景子]]
* [[イチロー]] - 新日本石油から引き続き出演
* [[竹内結子]] - ジャパンエナジーから引き続き出演
533 ⟶ 318行目:
 
;過去
* [[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]](日本テレビ系、日本石油時代)
* [[あじのある旅]]([[TBSテレビ|TBS]]系、[[MBSテレビ|MBS]]制作。日本石油時代)
* [[もうひとつの旅]](TBS系、MBS制作。日本石油時代)
* [[音楽の旅はるか]](TBS系、MBS制作。日本石油時代)
* [[ゴールデン洋画劇場]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列、日本石油時代)
* [[ウンナンのホントコ!]]([[TBSテレビ|TBS]]系列、日石三菱時代)
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列、日石三菱時代)
* [[行列のできる法律相談所]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列)
* [[AKBINGO!]](日本テレビ系)
* [[ネプリーグ]](フジテレビ系)
* [[うたばん]]([[TBSテレビ|TBS]]系、2008年4月 - 2009年3月26日)
** (「前回」[[さんまのSUPERからくりTV]]の枠に移行)
* [[ひみつの嵐ちゃん!]](TBS系)
* [[森田一義アワー 笑っていいとも!]]12:30-12:50頃([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系、2007年4月から隔日のみ、2009年3月まで)
** (「前回」[[土曜プレミアム]]の枠に移行)
* [[日曜洋画劇場]]([[テレビ朝日]]系)
* [[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん]](テレビ朝日系)
* [[ワールドビジネスサテライト]]([[テレビ東京]]系)
* [[がっちりマンデー!!]](TBS系列)
* [[NEWS ZERO]](日本テレビ系、 2014年4月-)※火曜中盤ナショナルスポンサー ※一部地域を除く
567 ⟶ 334行目:
* [[お早うネットワーク]](ニッポン放送・NRN系、[[2016年]](平成28年)7月 - 、火・木曜日担当。前身のエッソ石油時代にも提供していた時期あり)
;過去
* [[裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30]](AM・[[ニッポン放送]]系、1993年4月 - 1998年3月。日本石油時代)
* [[中村雅俊マイ・ホームページ]](AM・[[JRN]]系、2004年4月 - 2007年9月。その後[[スズキ (企業)|スズキ]]にスポンサー変更)
* [[ON THE WAY COMEDY 道草]](FM・[[全国FM放送協議会|JFN]]系、2001年10月 - 2007年9月。番組は2008年3月で終了)
* [[ENEOS PRESENTS 夢をつかめ!星野JAPAN]](AM・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系、2007年10月29日 - 11月30日)
* ENEOSドライビングハイウェイ(NRN系・[[企画ネット番組]]。2004年3月まで)
* [[清水ミチコのミッチャン・インポッシブル]]([[ニッポン放送]] [[2006年]](平成18年)10月 - 2014年(平成26年)3月、[[2010年]](平成22年)6月までは「JOMO」冠で放送)
** [[JX童話の花束]]([[ニッポン放送]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系、[[2002年]](平成14年) - 、[[2010年]](平成22年)6月までは「JOMO」冠で放送)