「ダヴィデ・レベッリン」の版間の差分

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以後も多くのクラシックレースで度々上位に名を連ね、2007年には、春の[[パリ〜ニース]]で総合2位。さらに3年ぶりに[[フレッシュ・ワロンヌ]]を制したほか[[アムステルゴールドレース]]でも2位に入り、[[ツール・ド・ロマンディ]]終了時点まで[[UCIプロツアー#結果|UCIプロツアーランキング]]でトップの座をキープ。最終的に[[カデル・エヴァンス]]に次ぐ総合第2位に輝いた。
 
2008年には[[パリ〜ニース2008|パリ〜ニース]]でリナルド・ノチェンティーニを3秒差でかわして総合優勝。前年の雪辱を果たした。またアルデンヌクラシックでも活躍し、[[リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ]]では2位に入った。その後[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]のロードレースでも2位となり、銀メダルを獲得している。
 
2009年、4月のクラシックレースで活躍。[[フレッシュ・ワロンヌ2009|フレッシュ・ワロンヌ]]で優勝、[[リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ2009|リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ]]では3位に入った。しかし4月29日、[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の血液検査の結果、AサンプルでEPO陽性反応が検出され、以後出場保留状態が続いていた<ref>[http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=10527 サイクリングタイム2009年4月30日付記事]</ref><ref>持続性エリスロポエチン受容体活性化剤(CERA)の陽性反応がAサンプルの再検査で発覚。Bサンプルでも陽性反応が出た場合、出場停止等の処分が行なわれることになる。</ref> そして同年11月18日、新検出法による再検査によって[[CERA]](第三世代EPO)の使用が認定され、北京オリンピックの失格と銀メダルの剥奪が確定した<ref>2009年11月18日朝日新聞朝刊</ref>。
 
[[2010年]]6月30日、[[スポーツ仲裁裁判所]](CAS)は、レベッリンの訴えを却下したため、以後出場停止となった<ref>[http://www.cyclingnews.com/news/cas-rejects-rebellins-appeal CAS rejects Rebellin's appeal] - cyclingnews.com 2010年6月30日付記事{{en icon}}</ref>。
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==エピソード==
*2007年に[[フレッシュ・ワロンヌ]]で優勝した時の年齢は35歳259日で、これは[[UCIプロツアー]]史上最年長での優勝記録だったが、同年に[[イェンス・フォイクト]]が35歳325日で[[ドイツ・ツアー]]を制し記録を更新されてしまった。
 
*兄のシモーネ・レベリンもプロ選手だったが、成績は弟に遠く及ばずプロ生活5年でわずか1勝。引退後はメカニックを務めている。