削除された内容 追加された内容
123.21.27.126 (会話) による ID:69209061 の版を取り消し。いたずら。
タグ: 取り消し
Kenwpu (会話 | 投稿記録)
1963年3月場所、1974年1月場所の誤記に関するエピソード
192行目:
* 1960年7月場所後に興行された、[[秋田県]][[大館市|大館]][[相撲巡業|巡業]]において作られた板番付には、東方[[張出]]大関の[[柏戸剛|柏戸]]は枠外に書かれているのに、同じ東方で枠内に書かれている関脇の[[大豪久照|若三杉]](のち大豪)は、普通なら東の正関脇のはずが何故か「関脇」の文字の上部に、小さく「張出し」と書かれている。
* 1961年11月場所、大関・関脇・小結は張出がある番付で、横綱([[若乃花幹士 (初代)|初代若乃花]]、[[大鵬幸喜|大鵬]]、[[柏戸剛|柏戸]]、3代朝潮の4人)のみ、張出を設けず4人を正横綱とし枠内に記載された番付となった。途中朝潮の引退もあったが、この様式の番付は翌年3月場所まで続いた。
*1963年3月場所の番付は西前頭9枚目宇多川の四股名が誤記により「宇田川」で発行。番付発表後、部屋より苦情があり一門用に「宇多川」と訂正した番付を少数だけ再印刷した。
<!--* [[1962年]](昭和37年)5月場所直前に起きた[[二所ノ関部屋]]配属力士の[[片男波部屋]]移籍問題で紛争が起き、[[佐賀ノ花勝巳|二所ノ関]](元大関・佐賀ノ花)が9力士の廃業届を提出したが、5月場所7日目に緊急理事会を開き、二所ノ関部屋の廃業9力士の復帰を現在の番付地位より10枚下げて認め、[[双葉山定次|時津風]]理事長(元横綱・双葉山)は二所ノ関と[[玉乃海太三郎|片男波]](元関脇・玉乃海)の2人に謹慎を命じた。
* [[1964年]](昭和39年)11月場所、幕下で7戦全勝優勝した[[若葉山強|伊藤川]](のち若葉山)は東幕下40枚目の地位だったが、翌[[1965年]](昭和40年)1月場所の番付で一気に十両(西18枚目)に昇進した。現在では幕下で全勝しても、15枚目より上位でないと十両に上がれないので、当時としては非常に幸運なケースといえる。
205 ⟶ 206行目:
* 1972年9月場所、十両で初の[[公傷制度]]が適用され、[[大潮憲司|大潮]]と[[鷲羽山佳和|鷲羽山]]が前場所の番付と同地位で張り出された(大潮は東5枚目、鷲羽山は西10枚目)。その後、[[1976年]](昭和51年)5月場所に十両の公傷休場力士の張出扱いを休止した。
* 1972年11月場所の番付で東前頭14枚目福の花の四股名が行司の誤記により「福ノ花孝一」と書かれた。
*1974年1月場所の番付で西大関大受の出身地が誤記により「青森」に。石油危機により再印刷をせず、既に印刷済みの番付に「北海道」と正しい出身地を書いた紙を貼り訂正した。関係者には訂正再印刷した番付を発行。
* 1975年3月場所の番付は、1948年10月場所以来27年ぶりに張出のない番付となったが、横綱から小結まで2名ずつという純粋に人数ぎりぎりになったのは昭和以降初めてであった。
<!--* 1976年9月場所、前頭4枚目の元大関魁傑は14勝1敗で[[前頭#平幕で優勝した力士|平幕優勝]]。大関(1975年3月場所-同年11月場所、在位5場所)を陥落して5場所目だが、平幕まで陥落した大関経験者の優勝は史上初。魁傑は翌[[1977年]](昭和52年)3月場所には再び大関に昇進したものの、在位4場所で陥落した。