「民放テレビ全国四波化」の版間の差分

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(TVI開局から22年半後の)1991年4月1日には県内3番目となる「[[岩手めんこいテレビ]](mit)」がフジ系列局として開局(1975年10月1日開局の[[テレビ新広島]]以来15年半ぶりの新規参入)。mitは開局当初~1995年まで本社機能を当時の水沢市(現:[[奥州市]])へ置いていたが、これは(mitの設立に尽力した)当地出身政治家[[小沢一郎]]の影響力によるものとみられている(「小沢自身が[[産経新聞]]の拡版に協力し、その見返りに[[フジサンケイグループ]]が当時の水沢市に系列TV局を開設する」という[[バーター]]があったため=[[中川一徳]]著「メディアの支配者」より)。やがてmitは利便性が高い[[盛岡市]]へ本社機能を完全移転したため、奥州市の旧mit本社は1999年に(当時所有していたフジテレビから)市側へ無償譲渡されて「めんこい美術館」に衣替え。旧水沢スタジオは地元コミュニティFM局「[[奥州エフエム放送]]」が再利用している。
 
なお3局目のmitが開局した段階で「岩手に第4局目のアナログ電波(当時)を割り当てる」旨が既に決定しており(本来チャンネルプランは当時の経済状況もありここで完了するはずであった)、その施策に則ってテレ朝系列局となる県内最後発「[[岩手朝日テレビ]](IAT)」が(mit開局から5年半後の)1996年10月1日に開局(IATはテレ朝系列国内最後発局でもある。同局の開局により東北6県全てにテレ朝系列局が誕生)。これにより岩手県は東北地方では宮城・福島に次いで3番目に、[[北東北]]で唯一民放TVが4局出揃って現在に至っている(mit・IATの主幹送信所・各中継局設備はアナログ時代から両局で共用)。
 
=== 秋田県 ===
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県内民放第一号は[[山形放送]](YBC)で、1953年10月15日に「ラジオ山形」としてラジオ放送を開始。7年後の1960年3月16日にNNN系列局としてTV放送も開始しラテ兼営化(YBC本社社屋には地元紙の[[山形新聞]]本社も同居し「山新放送会館」として一体運用)。
 
1970年4月1日に県内第2局&山形県内初のアナログUHF局として開局した[[山形テレビ]](YTS)は当初[[フジネットワーク|FNS]]系列だったが、経営上の理由から1993年4月1日に現在のANN系列に鞍替えした。このためFNS系番組を直接視聴できない状態となり、県民は「山形にフジ系列局がほしい」と要望。県内では「フジテレビ系民放第4局を作る会」が結成され、[[署名運動]]などが行われた。当時郵政省は山形テレビの経営逼迫と[[テレビユー山形]]における山新グループによる妨害による経営不振により山形地区に第4局は開局は難しいと考えチャンネルを割り当てることもなくかつフジテレビは山形に新局を開局する予定はなかったが、その熱意から方針転換して開局を決断。地デジ廃止前の駆け込み申請を1年限定で受け付けるという当局の判断もありこうした経緯で1997年4月1日に[[さくらんぼテレビジョン]](SAY)が開局し、山形県でFNS系番組が4年ぶりに直接視聴可能となった(同時に第3局として1989年10月1日に開局した[[テレビユー山形]](TUY)(JNN系列)<ref>演奏所は山形市にあるが、本社は(地元紙である[[山形新聞]]の影響力を避ける観点(とはいえ当時のJNNルールで資本は入っている)から)酒田市にある。</ref>、第1局の山形放送(YBC)と合わせ、民放テレビ4局化も東北で4番目に完了)<ref>先発ラテ兼営局がNNN系列の地区において民放テレビが最初に4局化された地区は広義では(岡山県と放送区域を統合し、[[テレビせとうち]](TSC)の開局により5局化させた)香川だが、他県・他地方にまたがらず1県のみを公式放送区域としている地区に限ると1995年4月1日の愛媛が最初。山形は先発ラテ兼営局がNNN系列の地区としては全国で2番目(香川を含めると全国で3番目)に4局化され、同時に全国で最後の4局化となった。尚先発ラテ兼営局がNNN系列の地区における民放テレビ4局化は前述の山形・香川・愛媛の3地区のみにとどまり、それ以外の先発ラテ兼営局がNNN系列の地区では4局化が実現しなかった(先発ラテ兼営局がJNN系列の地区で4局化が実現しなかったのは島根[鳥取県と放送区域を統合]・大分・宮崎・沖縄[ただし地域第1局ではない]の4地区のみ)。</ref>。
 
=== 福島県 ===