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ライシテは政治と宗教を対立させるものではなく、政治・行政から宗教の影響を排除することが目的である。したがって、宗教は信教の自由、思想・良心の自由という'''個人の自由の領域を超えることはない'''。ただし、ライシテはフランス社会に深く根ざすものでありながら、同時にまた、社会の変化に応じて変わっていることも考慮する必要がある<ref>{{Cite news|title=Pourquoi la laïcité fait polémique en France|date=2016-01-20|url=https://www.lexpress.fr/actualite/societe/religion/pourquoi-la-laicite-fait-polemique-en-france_1755624.html|accessdate=2018-07-22|language=fr|work=LExpress.fr}}</ref>。
 
一方で、「ライシテ」という概念に曖昧さがないわけではない<ref>{{Cite news|title=Le Conseil d'État relance le débat sur le principe de laïcité - France 24|date=2011-07-24|url=http://www.france24.com/fr/20110724-laicite-religion-islam-conseil-etat-debat-decisions-collectivites-communautes-catholique?ns_campaign=nl_quot_fr&ns_mchannel=email_marketing&ns_source=NLQ_20110725&f24_member_id=&ns_linkname=node_4463704&ns_fee=0|accessdate=2018-07-22|language=fr-FR|work=France 24}}</ref>。信教の自由と思想・良心の自由が区別されるように、ライシテは'''[[世俗化]]''' (sécularisation) や'''中立性''' (neutralité) と区別されるが、混同されるまたはすり替えられる場合もある<ref>{{Cite news|title=Le Québec préfère la neutralité religieuse à la laïcité|date=2017-08-17|url=https://www.la-croix.com/Religion/Laicite/Le-Quebec-prefere-neutralite-religieuse-laicite-2017-08-17-1200870236|accessdate=2018-07-22|issn=0242-6056|language=fr-FR|work=La Croix}}</ref>。ライシテに関する歴史・社会学者のジャン・ボベロによると、「世俗化とは、最も広い意味においては、近代社会 ― 科学技術と結びついた[[合理性]]を中心とする基準によって機能する社会 ― において、宗教の社会的役割が衰退することを意味し」<ref name=":2">{{Cite web|url=http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/publications/2009/04/secularizations_and_laicites_u/|title=「世俗化と脱宗教化」(ジャン・ボベロ), 『世俗化とライシテ』|accessdate=2018年7月23日|publisher=}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Hayat|first=Pierre|title=Laïcité et sécularisation|url=https://www.cairn.info/revue-les-temps-modernes-2006-1-p-317.htm|journal=Les Temps Modernes|volume=n° 635-636|issue=1|language=fr|issn=0040-3075}}</ref>、中立性は、哲学者[[フェルディナン・ビュイソン]]がライシテに基づく国家 (État laïque) に与えた定義「すべての宗教に対して中立的で、あらゆる聖職者から独立している」に近く<ref name=":2" />、どちらかと言えば受動的な姿勢であるのに対して、フランスにおけるライシテはその成立過程に根ざした概念であり、
<blockquote>'''ライシテというときには、受動的で静かな中立性よりも、能動的かつ確信的に、公私を分離して公的な領域から宗教的な要素を排除するという姿勢を含意する。価値にかかわる宗教・信仰の要素を持ち込まないことによってこそ、各人の信教あるいは良心の自由が確保されるという発想にほかならない。[[公教育]]はいかなる教義をも特別扱いしてはならず、また教義によって知性がゆがめられることを許してはならない。ここに、革命以来の[[理性主義]]の表出を看取することができる。フランスは以後、このライシテを国家的原則として掲げ現在にいたる<ref name=":1">{{Cite article|author=古賀毅|title=近代公教育の基本原理に関する再検討 ―歴史的形成要件とその現代的変移― |journal=日本橋学館大学紀要|issue=10|year=2011|pages=3-13|publisher=|url=https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180722175457.pdf?id=ART0009659842古賀毅|accessdate=2018年7月22日|ref=}}</ref>。'''</blockquote>
20世紀初頭(特に政教分離法の成立時)には、ライシテには、まずもって、'''共和主義的価値を脅かすカトリック教会の影響'''を排除しようという意図があったが、やがて、伝統的なカトリックとは直接関係のない様々な'''過激な思想(新たな[[全体主義]]、[[セクト]]、[[イスラム原理主義]]をはじめとする宗教的原理主義等)'''が生まれ、ライシテはより複雑で幅広い文脈に置かれている。
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なかでも、人権宣言第10条の「何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の株序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない」という信教の自由が第五共和政憲法でも保障されている<ref>{{Cite web|url=https://www.gouvernement.fr/la-laicite-aujourd-hui-note-d-orientation-de-l-observatoire-de-la-laicite|title=La laïcité aujourd'hui, note d'orientation de l'Observatoire de la laïcité|accessdate=2018-07-22|website=Gouvernement.fr|language=fr-FR}}</ref>。
 
[[公教育]]においても、初等義務教育に関する[[1882年]]3月28日付法律<ref>{{Cite news|title=Loi sur l'enseignement primaire obligatoire du 28 mars 1882|last=nationale|first=Ministère de l'Éducation|url=http://www.education.gouv.fr/cid101184/loi-sur-l-enseignement-primaire-obligatoire-du-28-mars-1882.html|accessdate=2018-07-22|language=fr-FR|work=Ministère de l'Éducation nationale}}</ref>および初等教育の組織に関する[[1886年]]10月30日付法律<ref>{{Cite news|title=Loi sur l'organisation de l'enseignement primaire du 30 octobre 1886|last=nationale|first=Ministère de l'Éducation|url=http://www.education.gouv.fr/cid101188/loi-sur-l-organisation-de-l-enseignement-primaire-du-30-octobre-1886.html&xtmc=brevet&xtnp=2&xtcr=26|accessdate=2018-07-22|language=fr-FR|work=Ministère de l'Éducation nationale}}</ref>の成立により、宗教道徳教育を排して道徳・公民教育を導入して以来ライックである<ref>{{Cite news|title=Les grands principes du système éducatif|last=nationale|first=Ministère de l'Éducation|url=http://www.education.gouv.fr/cid162/les-grands-principes.html|accessdate=2018-07-22|language=fr-FR|work=Ministère de l'Éducation nationale}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.senat.fr/evenement/archives/D42/1882.html|title=dossiers d'histoire -  Les lois scolaires de Jules Ferry  - Sénat|accessdate=2018-07-22|website=www.senat.fr|publisher=}}</ref>。
[[ファイル:La Petite Lune - 42.jpg|サムネイル|289x289ピクセル|(風刺画) 司祭にかみつくジュール・フェリー (1878年)]]
19世紀に、ライシテに関する一連の法律が施行され、次第に国家と[[カトリック教会]]とのつながりが断たれ、共和主義的[[普遍主義]]の原則に基づく新たな政治・社会規範が確立されていった<ref>{{Cite web|url=https://www.lyceedadultes.fr/sitepedagogique/documents/HG/HG1S/1S_H23_T5_Q2_C2_Republique_religions_et_laicite.pdf|title=La République, les religions et la laïcité en France depuis les années 1880|accessdate=2018年7月22日|publisher=}}</ref>。こうした過程は、教義と切り離されたより広義の近代化 ― 政治・社会基盤([[三権分立]]、国家組織、教育、非宗教的な生活習慣、法律や道徳観など)の見直しや改革を含む[[民主化]] ― の一環であり、とりわけ[[フランス第三共和政|第三共和政]]においては、公教育相'''[[ジュール・フェリー]]'''が'''義務・無償制'''とともに公教育の'''非宗教化'''を粘り強く推し進め、義務制を定める [[1882年]]3月28日の法律において非宗教性をも明文化するに至った({{仮リンク|ジュール・フェリー法|fr|Lois Jules Ferry}})<ref name=":1" />。これを補う1886年の「{{仮リンク|ゴブレ法|fr|Loi Goblet}}」は、特に第17条で'''公立学校の教師はすべてライックでなければならない'''と規定している<ref>{{Cite web|url=http://www.ladocumentationfrancaise.fr/dossiers/d000095-laicite-les-debats-100-ans-apres-la-loi-de-1905/les-fondements-juridiques-de-la-laicite-en-france|title=Les fondements juridiques de la laïcité en France|accessdate=2018-07-22|last=française|first=La Documentation|website=www.ladocumentationfrancaise.fr|language=fr}}</ref>。
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ただし、'''学校行事などの[[課外活動]]に[[ボランティア]]で参加する保護者'''については、当初、明確な規定がなかった。アリマ・ブームディエンヌ=ティエリ上院議員は、子供の遠足や課外活動への参加を希望するイスラム系の女性らがヴェール着用を理由に参加を拒まれるなどの差別を含み、公務員から差別を受けているとして、問題を提起した。これに対して国土開発担当大臣[[クリスチャン・エストロジ]]は、「クラス担任教師の責任において課外活動に参加する保護者は、公務を担う臨時職員と同様に、公務員に課される中立性の原則に従う義務がある」と回答<ref>{{Cite web|url=https://www.senat.fr/questions/base/2006/qSEQ06101136S.html|title=Discriminations concernant les femmes portant le foulard islamique - Sénat|accessdate=2018-07-24|website=www.senat.fr}}</ref>。保護者協議会連盟は「(宗教的標章規制)法が適用されるのは、公立学校の児童・生徒のみである」と抗議した。「ラ・アルド」は[[2007年]]6月に、「ライシテ原則も公務員の中立性の原則も、ヴェールを着用した保護者が、親として、公立学校の教育活動、課外活動等の公務に協力することを妨げるものではない。原則としてこれを拒むのは、宗教に基づくボランティア活動への参加において差別にあたるおそれがある」という判断を下したが<ref>{{Cite web|url=https://juridique.defenseurdesdroits.fr/index.php?lvl=notice_display&id=1068|title=Délibération n°2007-117 du 14 mai 2007 relat... Catalogue en ligne|accessdate=2018-07-24|last=droits|first=Défenseur des|website=juridique.defenseurdesdroits.fr|language=fr}}</ref>、これに対してさらに、「人種主義・反ユダヤ主義反対国際連盟 (LICRA)」、フェミニズム活動団体「娼婦ではない、服従もしない (Ni putes ni soumises)」、「人種差別SOS」、フリーメイソン「フランス大東社」、「共和国ライシテ委員会」、「ライック家族連合」などの団体が連名で2007年12月に『[[リベラシオン]]』に、「特殊な標章により自らを他と区別する保護者の同伴を認めることは、政治的・宗教的な選択であり、親は子の模範であるという価値観に反する。フランス共和国及びフランスの公立学校は、子供をあらゆる[[プロパガンダ]]から保護し、育まれつつある[[思想・良心の自由]]を守るために、既に一世紀以上にわたって教員・教育職員に厳格な中立性の尊重という義務を課してきた」とする抗議書を掲載した<ref>{{Cite news|title=Laïcité : l'école et les enfants d'abord !|url=http://www.liberation.fr/tribune/2007/12/10/laicite-l-ecole-et-les-enfants-d-abord_108216|accessdate=2018-07-24|language=fr|work=Libération.fr}}</ref>。
 
最終的には国務院が2013年12月、課外活動に参加する保護者は、「宗教的中立性を要求される教員などとは別の法的範疇に属する」ため、中立性の原則に従う必要はないが、「かかる保護者が宗教的な意見を表明することができるのは、授業その他の活動、学校運営等の妨げにならない限り、かつ、公の秩序を乱さない限りにおいてである」という見解を発表した<ref>{{Cite web|url=https://www.senat.fr/questions/base/2015/qSEQ150415812.html|title=Principe de neutralité du service public - Sénat|accessdate=2018-07-24|website=www.senat.fr}}</ref>。
[[ファイル:Charte de la laïcité.JPG|サムネイル|ライシテ憲章]]
 
==== ライシテ憲章 ====
[[2013年]]9月9日、[[ヴァンサン・ペイヨン]]教育相が「'''ライシテ憲章'''」を発表した。ペイヨン教育相は前年度、幼稚園から高校までの公立校において非宗教性教育を徹底させる方針を明らかにしており、教育界や世論の賛同を得て憲章作成の運びとなった。「ライシテ憲章」はライシテ原則をわかりやすく簡潔に説明した15条から成る<ref>{{Cite news|title=Charte de la laïcité à l'École|last=nationale|first=Ministère de l'Éducation|url=http://www.education.gouv.fr/cid73666/charte-de-la-laicite-a-l-ecole.html|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=Ministère de l'Éducation nationale}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://ovninavi.com/749news6/|title=ペイヨン教育相、「非宗教性憲章」を発表 {{!}} OVNI{{!}} オヴニー・パリの新聞|accessdate=2018-07-25|website=ovninavi.com|language=ja}}</ref>。
 
=== ライシテと女性の権利・自由 ===
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こうした状況にあって、フランスの「宗教的標章規制法」については、「イスラム系の少女たちが、イスラム系の家庭やイスラム系の男性の側からの、種々の拘束や差別の犠牲者であるとし、彼女たちをその拘束や差別から解き放つことによって統合を推進することを謳っていた」が、これが果たして真の解放なのか、イスラム系の女性たちが着用を義務づけられている宗教的標章が公共空間で禁じられるなら、「まさしく宗教的性差別によって支配されている共同体的空間に彼女たちを追い返すことになるのではないか」といった議論もある<ref>{{Cite web|url=https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/publications/2009/04/secularizations_and_laicites_u/|title=ライシテと国民統合 ―「21世紀世界ライシテ宣言」をめぐる若干の考察― (増田一夫) 『世俗化とライシテ』|accessdate=2018年7月25日|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/eth03/L'affare_du_Fouland_a_l'ecole_public_en_France.pdf|title=フランスの公立学校における「スカーフ事件」について (伊東俊彦)|accessdate=2018年7月25日|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.cairn.info/revue-mouvements-2004-3-page-148.htm|title=Étienne Balibar, « Dissonances dans la laïcité », 2004|accessdate=2018年7月25日|publisher=}}</ref>。
 
[[2004年]]の「宗教的標章規制法」の後、[[2010年]]には「尊厳及び男女平等を侵害する過激な宗教実践はフランス共和国の価値に反する」等の理由により<ref>{{Cite web|url=http://www.assemblee-nationale.fr/13/ta/ta0459.asp|title=Texte adopté n°  459 - Résolution sur l'attachement au respect des valeurs républicaines face au développement de pratiques radicales qui y portent atteinte|accessdate=2018-07-25|website=www.assemblee-nationale.fr}}</ref>、公共の場における[[ブルカ]]の着用を禁止する法案が可決された<ref>{{Cite news|title=フランスで「ブルカ禁止法」施行、違反者には罰金1万8000円|last=Editorial|first=Reuters|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20537920110411|accessdate=2018-07-25|language=ja-JP|work=JP}}</ref>。
 
==== 母性という神話からの解放 ====
[[ファイル:Elisabeth-badinter.jpeg|左|サムネイル|歴史学者エリザベット・バダンテール|代替文=|180x180ピクセル]]
[[1989年]]のスカーフ論争においてスカーフ着用反対の立場を表明した歴史学者、哲学者、作家の[[エリザベット・バダンテール]]は女性を母性から解放した書『母性という神話』<ref>{{Cite web|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480084101/|title=筑摩書房 母性という神話 / エリザベート・バダンテール 著, 鈴木 晶 著|accessdate=2018-07-28|website=www.chikumashobo.co.jp}}</ref>で知られるが、彼女は「'''ライシテなくしてフェミニズムは存在しない'''」、「個人の自由、女性の自由という問題は、ライックな国家の絶対的中立性との関連において論じられなければならない」と主張している<ref>{{Cite news|title=Elisabeth Badinter  : «  Il n’y a pas de féminisme sans laïcité  »|url=https://www.lemonde.fr/idees/article/2018/04/12/elisabeth-badinter-la-sainte-alliance-des-reactionnaires_5284218_3232.html|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=Le Monde.fr}}</ref>。エリザベット・バダンテールはライシテについて一貫した姿勢を貫いており、[[H&M]]、[[ドルチェ&ガッバーナ]]などのブランドがイスラム教徒女性向けのコレクションを発表したときには<ref>{{Cite news|title=ドルチェ&ガッバーナ、「アバヤ」&「ヒジャブ」コレクションを発売。|date=2016-01-08|url=https://www.vogue.co.jp/fashion/news/2016-01/08/dolcegabbana/related/1|accessdate=2018-07-25|language=ja-JP|work=VOGUE JAPAN}}</ref>、ボイコットを呼びかけ<ref name=":10">{{Cite news|title=Elisabeth Badinter  appelle au boycott des marques qui se lancent dans la mode islamique|url=https://www.lemonde.fr/idees/article/2016/04/02/elisabeth-badinter-une-partie-de-la-gauche-a-baisse-la-garde-devant-le-communautarisme_4894360_3232.html|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=Le Monde.fr}}</ref>、また、特に英米から抗議が殺到したフランスの[[ブルキニ]]騒動についても、「女性が何を着るのか、決める権利は誰にもない」と主張するロンドン市長[[サディク・カーン]]とは逆に<ref>{{Cite news|title=「女性が何を着るのか、決める権利は誰にもない」ロンドン市長がブルキニ禁止に声を上げる|date=2016-08-26|url=https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/25/sadiq-khan-condemns-french-burkini-ban_n_11710826.html|accessdate=2018-07-25|language=ja-JP|work=HuffPost Japan}}</ref>、バダンテールは、(一部の地方自治体によるブルキニ禁止はフランスにおける一連のテロ事件の直後のことであったことは別としても)[[イスラム原理主義]]者らの女性に対する「絶対的無関心」と「(男女を)分けようという意思」のあらわれである以上、ブルキニを着用するということはこれに従うことであり、「女性に対して公共の場で好きな服装をする権利を与えた1905年のライシテ法に違反する」と主張している<ref>{{Cite news|title=“Porter un burkini sur les plages de Nice est une provocation dégoûtante"|url=https://www.rts.ch/info/monde/7968437--porter-un-burkini-sur-les-plages-de-nice-est-une-provocation-degoutante-.html|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=rts.ch}}</ref>。
 
==== 左派内の対立 ====
ジャン・ボベロが指摘するように、特に政治的イスラムの台頭により、ライシテをめぐる論争が生じ、スカーフ論争、ブルキニ論争、そして表現の自由をめぐる論争として表面化した。さらにはフランスのライシテ、[[普遍主義]]を、「[[アングロ・サクソン人|アングロ=サクソン]]の[[共同体主義]]」に対置させる議論に発展し、フランス左派の分裂につながった。「これは、ある意味では、差別に対して「どのように闘うか」という立ち位置の違いであり、一方は普遍主義の立場からライシテを熱心に擁護し、他方は共同体主義の立場からこれに疑義を投げかけている」<ref name=":11">{{Cite book|author=Caroline Fourest|title=Éloge du blasphème|date=|year=2015|accessdate=|publisher=Grasset|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=}}</ref>。エリザベット・バダンテールのように「普遍主義とライシテを唱える左派は、出自、宗教、性別、[[性的指向]]などにかかわらず、万人の平等を目指している。反人種差別と反[[全体主義]]を唱え、[[ナチズム]]の[[イデオロギー]]と民族大量虐殺政策に反対する。フランス革命の標語「[[自由、平等、友愛]]」、[[理性]]の哲学および解放の理念を掲げ、支配に反対する[[マイノリティ]]の連帯を求め、さらには、宗教とアングロ=サクソン流の宗教的共同体主義に疑義を投げかけている」。これに対して、共同体主義を唱える左派は、「理性と解放の理念に疑義を投げかけ、とりわけ解放の理念は「文明の使命」<ref>宗教史家・思想家の[[エルネスト・ルナン]]は、フランスの植民地主義による侵略を、劣った人種を文明の域に引き上げる「文明の使命」として正当化し、マルティニーク出身の黒人詩人[[エメ・セゼール]]により厳しく批判された。</ref>の追求であると考えている。植民地主義と[[ポストコロニアル理論|ポストコロニアル]]的思考に反対を唱え、特に後者はイスラム教に対するあらゆる批判的言説ないしはライックな言説に共通する思考であると言う」。また、「'''(啓蒙主義の)[[ヴォルテール]]'''よりはむしろ'''(植民地主義批判の)[[フランツ・ファノン]]'''であり、支配者・被支配者や[[蒙昧主義]]に対抗するライシテではなく、植民者の子孫か被植民者の子孫かという図式で論じている。こうした共同体主義的発想は、必然的にマイノリティ間の対立を生む」<ref name=":11" />。
 
共同体主義を唱える左派はしばしば「{{仮リンク|イスラム左派|fr|Islamo-gauchisme}}」<ref name=":18">{{Cite news|title=Quand les intellectuels quittent la gauche, la droite Figaro jubile|url=https://www.challenges.fr/politique/quand-les-intellectuels-quittent-la-gauche-la-droite-figaro-jubile_56922|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=Challenges}}</ref><ref name=":19">{{Cite web|url=https://spinou.exblog.jp/26469933/|title=L'art de croire (竹下節子)|accessdate=2018年7月25日|publisher=}}</ref>と呼ばれ、イスラム学者の[[タリク・ラマダン]]、哲学者の[[アラン・バディウ]]、社会学者の[[エマニュエル・トッド]]、ウェブ新聞『{{仮リンク|メディアパルト|fr|Mediapart}}』創設者の{{仮リンク|エドウィ・プレネル|fr|Edwy Plenel}}、そして「イスラム左派」のフェミニスト活動家としては{{仮リンク|ロカヤ・ディアロ|fr|Rokhaya Diallo}}や「共和国原住民 (Indigènes de la République)」の{{仮リンク|ウーリア・ブテルジャ|fr|Houria Bouteldja}}の名前が挙げられる<ref>{{Cite news|title=Politiques, journalistes, intellos: enquête sur les agents d'influence de l'islam|date=2017-10-06|url=http://www.lefigaro.fr/actualite-france/2017/10/06/01016-20171006ARTFIG00069-politique-journalistes-intellos-enquete-sur-les-agents-d-influence-de-l-islam.php?redirect_premium|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=FIGARO}}</ref><ref>{{Cite news|title=Leurs passions tristes, nos causes communes|last=Plenel|first=Edwy|url=https://blogs.mediapart.fr/edwy-plenel/blog/061017/leurs-passions-tristes-nos-causes-communes?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=Sharing&xtor=CS3-67|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=Club de Mediapart}}</ref>。ブテルジャは、統合の概念に批判的な立場から、「統合には自分の人格を「ケルヒャー」で洗浄しなければならないし、自らの文化を否認し、共有された市民の理想像に相応しい態度を取らなければならない」と主張する<ref>{{Cite web|url=https://wwwdoi.jstageorg/10.jst.go.jp/article7218/nenpouseijigaku/.65/1/65_1_290/_article/-char/ja.1_290 |title=フランスによるアルジェリアに関連する記憶の承認 : 国立移民歴史館の事例を中心に (大嶋えり子) 掲載誌 『年報政治学』日本政治学会 編 2014(1)|accessdate=2018年7月25日|publisher=(注記) 「ケルヒャー」は高圧洗浄機メーカーであり、ブテルジャはこの発言のなかで2005年6月にパリ郊外のラ・クールヌーヴで子供が殺害された事件を受け、「街をケルヒャーで洗う」と発言した当時の内務大臣ニコラ・サルコジを暗に批判している。}}</ref>。[[宮島喬]]はフランスにおける「共同体主義」を「民族コミュニティが、排他的にそのアイデンティティや文化の承認を要求したり、なんらかの目的に対して利益集団的に行動したりする傾向」と定義しており<ref>{{Cite journal|author=宮島喬|year=2006|title=移民マイノリティと問われる『フランス的統合』|journal=商経論叢|volume=41巻2号|page=}}</ref>、共同体主義だけでなく、人種主義、反ユダヤ主義、[[ホモフォビア]]として非難されることが多く<ref>{{Cite news|title=La dérive identitaire de Houria Bouteldja|url=http://www.liberation.fr/debats/2016/05/24/la-derive-identitaire-de-houria-bouteldja_1454884|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=Libération.fr}}</ref><ref>{{Cite news|title=Houria Bouteldja ou le racisme pour les nuls|date=2016-04-09|url=https://www.marianne.net/debattons/idees/houria-bouteldja-ou-le-racisme-pour-les-nuls|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=Marianne}}</ref><ref>{{Cite news|title=Bouvet : « Que des universitaires défendent Houria Bouteldja est un crime contre l'esprit »|date=2017-06-23|url=http://www.lefigaro.fr/vox/societe/2017/06/23/31003-20170623ARTFIG00122-bouvet-que-des-universitaires-defendent-houria-bouteldja-est-un-crime-contre-l-esprit.php|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=FIGARO}}</ref>、「マイノリティだが影響力の強い」左派とされる<ref name=":10" />。
掲載誌 『年報政治学』日本政治学会 編 2014(1)|accessdate=2018年7月25日|publisher=(注記) 「ケルヒャー」は高圧洗浄機メーカーであり、ブテルジャはこの発言のなかで2005年6月にパリ郊外のラ・クールヌーヴで子供が殺害された事件を受け、「街をケルヒャーで洗う」と発言した当時の内務大臣ニコラ・サルコジを暗に批判している。}}</ref>。[[宮島喬]]はフランスにおける「共同体主義」を「民族コミュニティが、排他的にそのアイデンティティや文化の承認を要求したり、なんらかの目的に対して利益集団的に行動したりする傾向」と定義しており<ref>{{Cite journal|author=宮島喬|year=2006|title=移民マイノリティと問われる『フランス的統合』|journal=商経論叢|volume=41巻2号|page=}}</ref>、共同体主義だけでなく、人種主義、反ユダヤ主義、[[ホモフォビア]]として非難されることが多く<ref>{{Cite news|title=La dérive identitaire de Houria Bouteldja|url=http://www.liberation.fr/debats/2016/05/24/la-derive-identitaire-de-houria-bouteldja_1454884|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=Libération.fr}}</ref><ref>{{Cite news|title=Houria Bouteldja ou le racisme pour les nuls|date=2016-04-09|url=https://www.marianne.net/debattons/idees/houria-bouteldja-ou-le-racisme-pour-les-nuls|accessdate=2018-07-25|language=fr|work=Marianne}}</ref><ref>{{Cite news|title=Bouvet : « Que des universitaires défendent Houria Bouteldja est un crime contre l'esprit »|date=2017-06-23|url=http://www.lefigaro.fr/vox/societe/2017/06/23/31003-20170623ARTFIG00122-bouvet-que-des-universitaires-defendent-houria-bouteldja-est-un-crime-contre-l-esprit.php|accessdate=2018-07-25|language=fr-FR|work=FIGARO}}</ref>、「マイノリティだが影響力の強い」左派とされる<ref name=":10" />。
 
イスラム左派は対立するライシテ・普遍主義左派をしばしば「[[イスラモフォビア]]」だとして非難するが、バダンテールは、フランス人はたいてい、「イスラモフォビアだと非難されることを極度に恐れているが、イスラム左派(のフェミニスト)は(相手にイスラモフォビアの烙印を押すことで)[[イスラム過激派]]に武器を提供しているのだ。『共和国法は女性を含むすべての国民に適用されるべきだ』と言う勇気のある人々をイスラモフォビアだと攻撃するなど、言語道断である」と抗議している<ref name=":10" />。
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この後、表現の自由とライシテのために闘った『シャルリー・エブド』は文部省からその勇気と功労を称えられ<ref>{{Cite web|url=http://www.lepoint.fr/actualites-politique/2007-01-17/sos-caricatures/917/0/27509|title=SOS caricatures|accessdate=2018-07-27|last=magazine|first=Le Point,|website=Le Point.fr|language=fr}}</ref>、ダニエル・ルコント監督によるドキュメンタリー映画も制作された<ref>{{Cite news|title=カンヌ映画祭、ムハンマド風刺画問題に立ち向かう編集長を描くドキュメンタリー映画|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2393811|accessdate=2018-07-27|language=ja}}</ref>。
 
[[2015年]]1月7日に[[シャルリー・エブド襲撃事件]]が発生し、[[イスラム過激派]]により『シャルリー・エブド』の風刺画家、コラムニストら12人が殺害された。国際テロ組織[[アラビア半島のアルカーイダ|アラビア半島のアルカイダ]]が「ムハンマドを侮辱したことへの復讐だ」として犯行声明を出した<ref name=":17">{{Cite news|title=このままでは再びテロが起きる  いまのままでは“イスラム国の思うツボ”|last=出|first=菅原|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20150116/276351/|accessdate=2018-06-14|language=ja-JP|work=日経ビジネスオンライン}}</ref>。
 
==== レデケール事件 ====
[[2006年]]9月19日付けの『[[フィガロ (新聞)|フィガロ]]』紙に哲学者の{{仮リンク|ロベール・ルデケール|fr|Robert Redeker}}の「[[イスラム原理主義|イスラム原理主義者]]の威嚇に晒され、自由な世界はどうしたらいいのか」と題する記事が掲載された。記事には、「すべてのイスラム教徒が教えを受ける[[コーラン]]には憎悪と暴力が潜んでいる」、「ムハンマドは情け容赦のない戦争のボス、略奪者、ユダヤ人の虐殺者、[[一夫多妻制|一夫多妻]]者・・・これがコーランから浮かび上がってくるムハンマドの実像である」などと書かれていたため<ref>{{Cite web|url=https://ovninavi.com/604_profil/|title=Robert Redeker– 哲学者。イスラームを批判して潜伏生活。 {{!}} OVNI{{!}} オヴニー・パリの新聞|accessdate=2018-07-27|website=ovninavi.com|language=ja}}</ref>、イスラム教徒が大多数を占める[[エジプト]]や[[チュニジア]]などでは同日付けの『フィガロ』紙は発禁になり、フランス国内でも批判が殺到し、ロベール・レデケールは殺害予告を受け、警察の保護下に置かれた。これに輪をかけるように、イスラム原理主義者らはインターネット上に死刑宣告の[[ファトワー|ファトワ]]を流した。「反人種主義・民族間友好運動 (MRAP)」のムールード・アウニ代表は、殺害予告や威嚇は赦しがたいとする一方で、レデケールの挑発がこうした状況を生んだのだと非難した。政治家も同様であった。[[ドミニク・ド・ビルパン|ドミニク・ド・ヴィルパン]]首相は、この件は「あまりにも頻繁に不寛容が露わになる危険な世界にいるということ」を示しているとし、[[ジル・ド・ロビアン]]もレデケールとの「団結」を表明しながらも、「公務員はどのような状況にあっても慎重かつ節度のある態度を示さなければならない」と批判した<ref>{{Cite news|title=Ouverture d'une enquête sur des menaces contre un professeur|date=2006-09-30|url=https://www.la-croix.com/Actualite/France/Ouverture-d-une-enquete-sur-des-menaces-contre-un-professeur-_NG_-2006-10-01-595292|accessdate=2018-07-27|issn=0242-6056|language=fr-FR|work=La Croix}}</ref>。
 
一方、「人種主義と反ユダヤ主義に反対する国際連盟 ([[:fr:Ligue_internationale_contre_le_racisme_et_l'antisémitisme|LICRA]])」の主催で、ロベール・レデケールを支援する会が催され、イスラム学者の{{仮リンク|ソエイブ・ベンシェイク|fr|Soheib Bencheikh}}、作家の[[パスカル・ブリュックネール]]、哲学者の[[アラン・フィンケルクロート]]、{{仮リンク|エリザベット・ド・フォントネ|fr|Élisabeth de Fontenay}}、{{仮リンク|ブランディーヌ・クリージェル|fr|Blandine Kriegel}}、[[クロード・ランズマン]]、『シャルリー・エブド』の編集長{{仮リンク|フィリップ・ヴァル|fr|Philippe Val}}らが参加した。彼らは、『フィガロ』紙に掲載した記事で、「思考自体が、愚行者や狂信者にとっては挑発になる」とし、とりわけ、一部のイスラム原理主義をファシズムだと非難するソエイブ・ベンシェイクは、「イスラムを批判しないのは(イスラムだけ特別扱いする)隔離政策のようなものだ」と宗教批判を支持した<ref>{{Cite news|title=La philo de Redeker, pensée ou provocation  ?|date=2006-11-15|url=http://www.lefigaro.fr/debats/2006/11/15/01005-20061115ARTFIG90072-la_philo_de_redeker_pensee_ou_provocation.php|accessdate=2018-07-27|issn=0182-5852|language=fr-FR|work=Le Figaro}}</ref>。
 
さらに、{{仮リンク|ジャン・ボベロ|fr|Jean Baubérot}}は、「ロベール・レデケールの表現の自由を守ることと、憎しみに満ちたばかばかしさを支持するのとは違う」とし、これに反対した<ref>{{Cite news|title=Non aux propos stéréotypés !, par Jean Baubérot|url=https://www.lemonde.fr/idees/article/2006/10/05/non-aux-propos-stereotypes-par-jean-bauberot_820274_3232.html|accessdate=2018-07-27|language=fr-FR|work=Le Monde.fr}}</ref>。
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=== ジャック・シラク政権下での政策 ===
[[2003年]]5月、[[フランソワ・バロワン]]([[国民議会 (フランス)|国民議会]]副議長、[[トロワ]]市長、与党UMP)が「新しいライシテのために」と題する報告書を提出した。バロワン報告書では、多文化主義とイスラム世界がフランスのアイデンティティを脅かすとされ、非宗教性、政教分離原則としてのライシテが、文化およびアイデンティティの問題にすり替えられた<ref>{{Cite journal|last=Chauvigné|first=Céline|date=2017-12-01|title=Laïcité à l’école  : évolution du concept dans une approche historique et juridique|url=https://journals.openedition.org/edso/2695|journal=Éducation et socialisation|issue=46|language=fr|doi=10.4000/edso.2695|issn=2271-6092}}</ref>。
 
2003年7月に、[[ジャック・シラク]]大統領の命により、共和国調停人(オンブズマン、Médiateur de la République)の{{仮リンク|ベルナール・スタジ|fr|Bernard Stasi}}を委員長とし、歴史・社会学者の{{仮リンク|ジャン・ボベロ|fr|Jean Baubérot}}、哲学者・作家の[[レジス・ドゥブレ]]、作家の{{仮リンク|アンリ・ペニャ=ルイズ|fr|Henri Peña-Ruiz}}などの様々な分野の専門家から成るライシテ原則の適用に関する委員会が設置された。12月にシラク大統領に提出されたスタジ報告書では、ライシテ原則は「国民を結集し、同時にまた、個人の自由を保障する」「国家統合の基盤」であるとされた<ref>{{Cite web|url=http://www.ladocumentationfrancaise.fr/rapports-publics/034000725/index.shtml|title=Commission de réflexion sur l'application du principe de laïcité dans la République : rapport au Président de la République|accessdate=2018-07-28|last=française|first=La Documentation|website=www.ladocumentationfrancaise.fr|language=fr}}</ref>。
257 ⟶ 256行目:
 
=== エマニュエル・マクロン ===
[[エマニュエル・マクロン]]大統領は、[[2016年]]7月に[[イスラーム過激派|イスラム過激派]]テロリストに殺害された{{仮リンク|ジャック・アメル|fr|Jacques Hamel}}神父の追悼ミサに参加したが、国家元首として追悼ミサには参加するが、中立性を維持するという[[シャルル・ド・ゴール]]の立場に近いとされる<ref>{{Cite news|title=Les présidents de la République peuvent-ils assister à la messe  ?|date=2017-10-29|url=https://fr.aleteia.org/2017/10/29/les-presidents-de-la-republique-peuvent-ils-assister-a-la-messe/|accessdate=2018-07-28|language=fr-FR|work=Aleteia : un regard chrétien sur l’actualité, la spiritualité et le lifestyle}}</ref>。同様の理由で、[[2017年]]12月に[[マドレーヌ寺院]]で執り行われた国民的歌手[[ジョニー・アリディ]]の追悼ミサでは、棺の前で十字を切らなかった<ref>{{Cite web|url=https://www.20minutes.fr/societe/2184767-20171209-hommage-johnny-hallyday-pourquoi-emmanuel-macron-fait-signe-croix-devant-cercueil|title=Hommage à Johnny Hallyday: Pourquoi Emmanuel Macron n’a pas fait de signe de croix devant le cercueil|accessdate=2018-07-28|website=www.20minutes.fr|language=fr}}</ref>。
 
[[2018年]]4月9日、マクロン大統領は「{{仮リンク|コレージュ・デ・ベルナルダン|fr|Collège des Bernardins}}(中世に修道士のための神学校として建てられ、現在は文化施設および神学教育施設)で行われたフランス司教協議会での演説で、初めて信仰に対する彼なりの見方を示し、「ライシテは宗教性(霊性)を否定するものではない」「我々はカトリック教会と国家の絆が損なわれたという印象を抱いており、これを修復することがあなたがた(司教)にとっても私(国家元首)にとっても重要である」と語ったことで、とりわけライックな左派から、「国家元首の義務に背く」、「ライシテに違反する」、「ライシテに対する攻撃である」などの猛烈な批判を受けることになった<ref>{{Cite news|title=Macron, un président qui murmure à l’oreille des catholiques|url=https://www.franceinter.fr/emissions/secrets-d-info/secrets-d-info-19-mai-2018|accessdate=2018-07-28|language=fr-FR|work=France Inter}}</ref><ref>{{Cite news|title=Discours de Macron aux Bernardins : une partie de la classe politique condamne une « atteinte à la laïcité »|date=2018-04-10|url=https://www.la-croix.com/Religion/Laicite/Discours-Macron-Bernardins-partie-classe-politique-condamne-atteinte-laicite-2018-04-10-1200930553|accessdate=2018-07-28|issn=0242-6056|language=fr-FR|work=La Croix}}</ref>。
[[ファイル:Marriage equality demonstration Paris 2013 01 27 01.jpg|左|サムネイル|同性婚合法化のためのデモ---「[[自由、平等、友愛]]」の「友愛」を「ライシテ」に置き換えて (2013年)]]
左派政党「不服従のフランス (France insoumise)」の[[ジャン=リュック・メランション]]党首は「形而上学的なたわごとだ、耐え難い。大統領の話を期待していたら、聖職者の話を聞くことになった」、{{仮リンク|アレクシス・コルビエール|fr|Alexis Corbière}}は「ライックな共和国の大統領にふさわしくない発言、宗教的共同体主義を再燃させるような無責任な発言だ」、{{仮リンク|クレマンティーヌ・オータン|fr|Clémentine Autain}}は「ライシテ法をいともいとも簡単に踏みにじった。非常に懸念される」、さらに歴史学者・社会党員の{{仮リンク|ダヴィッド・アスリーヌ|fr|David Assouline}}<ref>{{Cite web|url=http://www.fr.emb-japan.go.jp/itpr_ja/20180430harujoukun.html|title=平成30年春の叙勲|accessdate=2018年7月25日|publisher=(ダヴィッド・アスリーヌは「日本・フランス間の議員交流及び相互理解の促進に寄与」し、内閣府より平成30年春の叙勲(旭日重光章)を受けている)}}</ref>も、「既に1905年に(教会と国家の)絆は絶たれている。損なわれたのはなく、幸いにも断ち切られたのだ。マクロン大統領、あなたは攻撃を仕掛けてくる共同体主義から共和国のライシテを守る立場にありながらこのような発言をした。ことの重大さがわかっていますか」と厳しく批判した<ref name=":14">{{Cite news|title=Macron veut «  réparer le lien  » entre l’Eglise catholique et l’Etat|url=http://www.lemonde.fr/religions/article/2018/04/10/macron-veut-reparer-le-lien-entre-l-eglise-catholique-et-l-etat_5283135_1653130.html|accessdate=2018-07-28|language=fr-FR|work=Le Monde.fr}}</ref>。
 
ただし、一方で、オランド政権下で2013年に特にカトリックの猛反対に遭いながらも[[同性婚]]合法化法案が可決されて以来<ref>{{Cite news|title=フランス、同性婚を合法化|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM23088_U3A420C1EB1000/|accessdate=2018-07-28|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}}</ref>、カトリックとの関係が悪化し、マクロン政権下でも生殖補助医療の規制緩和を進めていることから<ref>{{Cite web|url=http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10984034_po_02730204.pdf?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10984034&contentNo=1&alternativeNo=&__lang=ja|title=【フランス】生殖補助医療に関する国家倫理諮問委員会の意見書|accessdate=2018年7月28日|publisher=}}</ref>、カトリックに対する懐柔策であるとの見方もある<ref name=":15">{{Cite news|title=Macron, un nouveau pacte avec les catholiques ?|url=http://www.liberation.fr/france/2018/04/10/macron-un-nouveau-pacte-avec-les-catholiques_1642260|accessdate=2018-07-28|language=fr|work=Libération.fr}}</ref><ref name=":16">{{Cite news|title=«  Familles homosexuelles  »  : les associations dénoncent une «  maladresse  » de Macron|url=http://www.lemonde.fr/politique/article/2018/04/10/familles-homosexuelles-les-associations-denoncent-une-maladresse-de-macron_5283553_823448.html|accessdate=2018-07-28|language=fr-FR|work=Le Monde.fr}}</ref>。
 
[[2018年]]6月にはバチカンを訪問し、ラテラノ大聖堂の名誉参事会員の称号を受けている<ref>{{Cite news|title=教皇、マクロン仏大統領と会見|url=http://ja.radiovaticana.va/news/2018/06/26/%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%B3%E4%BB%8F%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%A8%E4%BC%9A%E8%A6%8B/1376742|accessdate=2018-07-28|language=ja}}</ref>。
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==脚注・出典==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
==参考文献==
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*『[https://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/publications/2009/04/secularizations_and_laicites_u/ 世俗化とライシテ]』2008年ジャン・ボベロ来日講演録, 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター (UTCP), 2009
*「[http://keisobiblio.com/2016/11/28/jeanbauberot-conference01/ 続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題]」2016年ジャン・ボベロ来日講演録, 勁草書房編集部, 2016
*「[https://cidoi.niiorg/10.ac.jp24581/els/contentscinii_20180722175457nihonbashi.10.pdf?id=ART00096598420_3 近代公教育の基本原理に関する再検討 ―歴史的形成要件とその現代的変移―]」古賀毅, 『日本橋学館大学紀要』 第10号, 2011, {{doi|10.24581/nihonbashi.10.0_3}}
*『教育における自由と国家 ―フランス公教育法制の歴史的・憲法的研究』今野健一, 信山社出版, 2006
*「[http://jairo.nii.ac.jp/0148/00003111 公教育と価値に関する一考察 ―フランス公教育を参考に―]」中平一義, 『上越教育大学研究紀要』(第36巻第2号), 2017, {{ISSN|0915-8162}}
 
==関連項目==
* [[政教分離原則]]
* [[政教分離法]]
* [[世俗主義]]
* [[啓蒙時代]]
* [[ライクリッキ]]
 
{{デフォルトソート:らいして}}