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=== 代を手に入れる ===
やがて、趙鞅が没し嗣子の無恤が代わって立つと、無恤は[[喪服]]を脱がないうちに代王(無恤の姉婿)を偽りで招待して宴を開き、これを討ち取って[[代_ (春秋)|代]]を簒奪し手に入れた。夫の代王の非業の死を聞いた無恤の姉は、弟を罵倒して自殺した。やがて無恤はこの[[代郡|代の地]]を、既に他界した長兄・伯魯の忘れ形見の[[趙周]](成君)に治めさせた。無恤は自分が少年の頃から愛情を持って接してくれた亡き長兄・伯魯の子に栄誉を譲り、支えてくれた大恩をやっと報いた。
 
=== 晋陽の戦い ===
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== 末裔 ==
『[[史記]]』「'''趙世家'''」によると、無恤は空同氏(一説では[[西戎|戎]]あるいは[[狄|翟]]の一派)の娘との間に5人の息子を儲けていた。しかし、無恤は兄の孫である趙浣(献侯)を後継者にするために後を継がせずに、息子たちに対して「お前たちは一族として、[[君主]]を支えよ」と諭したという。だが、これを不満に思った息子たちは、父の無恤の死後に従子の趙浣を放逐し、長兄の[[趙嘉]](趙桓子)<ref> 『世本八』より。『史記』趙世家では、無恤の弟と記されている。</ref>を当主に立てて趙を治める。しかし、[[紀元前424年]]に趙桓子が没すると、国人たちは亡き趙桓子の行為を無恤の遺志を踏みにじる不孝として非難し、桓子の太子とその叔父たち(趙桓子の弟)を処刑して再び趙浣を当主として迎え入れ、無恤の遺志を守った。
 
== 趙無恤を題材にした小説 ==