「I-153 (航空機)」の版間の差分

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1939年に始まったフィンランドとの[[冬戦争]]ではソ連の主力機であった。後に[[独ソ戦]]で捕獲されたI-153はフィンランドに送られ、[[フィンランド空軍|フィンランド軍]]機として、[[継続戦争]]でソ連と戦った。後継機の[[I-16 (航空機)|I-16]]の登場後も長らく第一線機として運用されていたが、独ソ戦緒戦で多くのI-153は地上で破壊された。I-153の多くは、戦闘機としての運用の他に[[爆弾]]を搭載して[[シュトゥルモヴィーク]](対地攻撃機)としても運用された。ソ連では、I-153を操る[[撃墜王]]も何人も誕生した。
 
だが、どのよう任務であれI-153は[[1941年]]の時点ですでにどうしようもないほど旧式化していた。戦闘機部隊ではその後I-153やI-16にかわり[[Yak-1 (航空機)|Yak-1]]や[[LaGG-3 (航空機)|LaGG-3]]を使用するようになり、シュトゥルモヴィーク部隊でも[[Il-2 (航空機)|Il-2]]などが使用されるようになった。
 
I-153は、最終的に3500機ほどが生産された。I-153は「究極の複葉戦闘機」の名に恥じない優秀な機体であったが、時すでに複葉戦闘機の時代は去っていた。複葉戦闘機は格闘戦能力には秀でていたが、速度性能等で[[メッサーシュミット_Bf109|Bf 109]]のような新しい[[単葉機|単葉]]戦闘機にまったく歯が立たなかったのである。1941年にはさらに強力なエンジンをつけて計算では複葉機最速の速度580km/hをだせるはずの試作機I-195が計画されていたが、完成には至らなかった。