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[[鹿児島市立鹿児島商業高等学校]]卒業後、[[1994年]][[京セラ]]入社。京セラ男子陸上競技部が廃部の為、[[2000年]]に[[伊藤国光]]監督(当時)率いる[[カネボウ]]へ移籍。
 
同[[カネボウ陸上競技部]]には、[[2000年]][[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]男子10000m7位入賞・現マラソン日本記録保持者の[[高岡寿成]]現監督らが所属、入船自身[[ライバル]]ながらも尊敬する選手として高岡の名を挙げていた。また実弟の[[入船満]](現在は[[高等学校教員|高校教師]])もかつて陸上競技選手として活躍し、[[順天堂大学]]在籍時は4年連続で[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]を走り、4年次には1区で区間賞を獲得、卒業後は兄と同様[[2008年]]までカネボウに所属していた。
 
京セラ時代の[[1999年]]に、[[1999年世界陸上選手権|世界陸上セビリア大会]]男子10000mに出場するが、20位に終わった。
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[[2009年]]8月の世界陸上ベルリン大会男子マラソン本番では、8位入賞には届かなかったものの、通算3回目の世界陸上で自己最高順位の14位に入った(男子マラソン団体戦では[[銅メダル]]を獲得)。
 
[[近代オリンピック|オリンピック]]にも男子マラソン日本代表を目指して、[[2004年]][[アテネオリンピック (2004年)|アテネ大会]]・[[2008年]][[2008年北京オリンピック|北京大会]]・[[2012年]][[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドン大会]]の国内選考会に出場するも、芳しい成績を残せず[[夏季オリンピック|五輪]]選出は果たせなかった。2012年12月の福岡国際マラソンを自身現役最後のレースとして出走したが、途中足を痛めた影響で[[リタイア]]に終わる。引退後[[2013年]]にカネボウ陸上部[[コーチ]]へ就任、現在では主に陸上競技の指導者として活動中。
 
==自己記録==
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|style="text-align:center"|5位
|2時間09分40秒
|[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]選考レース
|-
|2008年[[12月7日]]
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{{ひろしま男子駅伝7区区間賞}}
{{天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝優秀選手賞}}
 
{{Athletics-bio-stub}}
{{デフォルトソート:いりふね さとし}}