「田中舘愛橘」の版間の差分

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同年9月に[[長岡半太郎]]が東京大学へ入学する。長岡は愛橘が使用していた寄宿舎に同室し、生活を共にした<ref name=ninohe215/>。明治16年([[1883年]])にユーイングが帰国した後は、後任の{{仮リンク|カーギル・ギルストン・ノット|label=ノット|en|Cargill Gilston Knott}}からも地磁気の指導を受けた<ref name=ninohe159/><ref name=ninohe217>{{Cite journal|和書|author=菅原孝平|date=2015-1-1|title=今やらねば 田中舘愛橘の生涯 6|journal=広報 にのへ|issue=217|page=15|publisher=二戸市|url=https://megalodon.jp/ref/2018-0819-2156-21/https://www.city.ninohe.lg.jp:443/div/jouhou/pdf/kouhou/h27/150101.pdf|format=PDF|accessdate=2018-8-19}}</ref>。愛橘はこの年に[[クモ]]の糸を用いた電磁方位計(エレクトロマグネチック方位計)を考案している。この方位計は従来の観測機器よりも時間をかけずに計測することが出来た。また、その論文は日本の学会報告書やロンドン王立協会誌においても掲載され、当時の世界で最も精度の高い方位計であると称えられたという<ref name=ninohe159/><ref name=ninohe213/><ref name=ninohe217/>。同年12月、福岡に帰っていた父・稲蔵の[[割腹自殺]]の報を受けて帰郷、同27日に東京大学助教授に就任する<ref name=ninohe215/>。
{{multiple image|align=right|direction=vertical|header_align = center|image1=Tanakadate Aikitsu in 1890.jpg|width1=220|caption1=留学時、34歳の時(明治23年)}}
明治20年([[1887年]])の6月から10月にかけてノットの提案で全国地磁気測定が実施され{{Refnest|group="註"|当時は[[エドムント・ナウマン|エドムント・ナウマン]]の指示により地質調査所で全国の地磁気測量が行われていた。ナウマンからはこれらの調査結果から、[[フォッサマグナ]]と地磁気分布とが密接な関連を持つと主張がなされた。ナウマンらの観測結果に疑問を抱いたノットと愛橘により、全国の地磁気再測量が行われた<ref name=SGEPSS1/>。}}、愛橘は日本の南半及び[[朝鮮半島]]南部の31箇所で観測を行った<ref name=Nipponica/><ref name=SGEPSS1>{{Cite web|url=http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM20-1.html|title=ノット・田中舘による日本全国地磁気測量|accessdate=2018-8-19|publisher=地球電磁気・地球惑星圏学会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070825113151/http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM20-1.html|archivedate=2007-8-25|deadlinkdate= }}</ref>。明治21年([[1888年]])1月、[[文部省]]より電気学及び磁気学修養として、[[イギリス]]の[[グラスゴー大学]]への留学を命ぜられる。グラスゴー大学ではユーイングの旧師であった[[ウィリアム・トムソン|ケルビン卿]]に師事した。ケルビンから多大な影響を受けた愛橘は生涯に亘ってケルビンを尊敬した<ref name=ninohe159/><ref name=ISN/><ref name=ninohe215/>。明治23年([[1890年]])3月頃に[[ヘルムホルツ]]が教鞭を執っていた[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]へ転学、ここでは1年間に亘り電気学などを学んだ<ref name=ninohe159/><ref name=ninohe215/>。明治24年([[1891年]])7月に<ref name=ninohe215/>[[アメリカ合衆国|アメリカ]]経由で帰国、7月22日付けで[[東京大学|東京帝国大学]]理科大学[[教授]]に就任し、翌月に[[理学博士]]の[[学位]]が授与された<ref name=ninohe159/><ref name=ninohe215/>。
 
=== 大学教授期の活動 ===
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==== 地磁気測定と各観測所の設置 ====
震災予防調査会では愛橘らの地磁気調査を受けて、地震予知には地磁気の測定が必要不可欠なものという施策が打ち出され重要視された。これにより同調査会では地磁気の研究も活発に行われることとなった<ref name=SGEPSS3>{{Cite web|url=http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM25-1.html|title=文部省に震災予防調査会設立|accessdate=2018-8-20|publisher=地球電磁気・地球惑星圏学会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070829132746/http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM25-1.html|archivedate=2007-8-29|deadlinkdate= }}</ref>。明治26年([[1893年]])から明治29年([[1896年]])にかけて同調査会による日本全国の地磁気調査が実施される。この調査は愛橘が中心となって進められた。調査地は富士山及び[[浅間山]]近傍、[[フォッサマグナ]]沿線地域、[[北海道]]、[[本州]]北部、[[西日本]]、[[中国地方|中国]]、[[九州]]に及んだ。この全国地磁気測量の結果は、明治37年([[1904年]])に英文で発表された<ref name=SGEPSS4>{{Cite web|url=http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM26-1.html|title=田中舘らによる全国地磁気測量|accessdate=2018-8-21|publisher=地球電磁気・地球惑星圏学会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150109202059/http://www.sgepss.org:80/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM26-1.html|archivedate=2007-8-30|deadlinkdate= }}</ref>。更に愛橘は調査会において地磁気の時間変動による観測を提案した。これによりフランスからマスカール式自記磁力計を4台購入することとなる。明治26年から明治30年([[1897年]])にかけて[[名古屋市|名古屋]]([[愛知県尋常師範学校]]内に設置、[[名古屋地方気象台|愛知県名古屋測候所]]に観測委託)と[[仙台市|仙台]]([[第二高等中学校|第二高等中学校]])に恒温観測室が設けられ、この磁力計を用いた連続観測が始められた。後に、[[根室町|根室]](根室測候所)と[[熊本市|熊本]]([[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]])においてもマスカール式自記磁力計による観測が開始された<ref name=SGEPSS5>{{Cite web|url=http://www.sgepss.org/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM26-2.html|title=全国4ヵ所に地磁気観測所設立|accessdate=2018-8-21|publisher=地球電磁気・地球惑星圏学会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070830172413/http://www.sgepss.org:80/sgepss/kyoiku/sgepss/HistM26-2.html|archivedate=2007-8-30|deadlinkdate= }}</ref>。
 
明治27年([[1894年]])3月、[[万国測地学協会]]の委員に任命された<ref name=ninohe159/>。国際観測事業として世界の[[北緯]]39度8分地点の6箇所に観測所が設置されることとなり、日本がそのうちの一つに選ばれる。愛橘は調査のうえ[[岩手県]][[水沢町|水沢]]の地を選定し、明治32年([[1899年]])9月に緯度観測所(現在の[[国立天文台]] [[水沢VLBI観測所]])として設立された。所長には教え子の[[木村栄]]が就任した<ref name=ninohe159/><ref name=ISN/><ref name=Nipponica/><ref>{{Cite web|url=http://www.miz.nao.ac.jp/kimura/content/description/01|title=観測所の歴史|accessdate=2018-8-21|website=木村榮記念館|publisher=[[水沢VLBI観測所]]|archiveurl=http://archive.is/ESbFR|archivedate=2018-8-21|deadlinkdate= }}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.nao.ac.jp/about-naoj/history.html|title=歴史|accessdate=2018-8-21|publisher=[[国立天文台]]|archiveurl=http://archive.is/QXtlC|archivedate=2018-8-21|deadlinkdate= }}</ref>。