「国鉄151系・161系・181系電車」の版間の差分

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同年[[7月27日]] - [[7月31日|31日]]にB3・B4編成を使用して高速度試験を東海道本線[[金谷駅|金谷]] - [[藤枝駅|藤枝]]間の上り線で行い、31日に202km地点付近で163km/hという当時の狭軌鉄道の世界[[最高速度]]を記録した。その功績を讃えるため、この試験に使用されたクハ151-3・4の前頭部に[[チャンピオンベルト|チャンピオンマーク]]が廃車直前まで付けられていた。同区間ではその後も[[国鉄クモヤ93形電車|クモヤ93000]]により引き続き高速度試験がおこなわれ、速度記録は更新されている。
 
1960年[[8月13日]]には[[日光線]]への入線試験を実施したが、同線への151系の投入は見送られた(試験結果は不明)。また、同年[[10月15日]] - [[10月22日|22日]]に東京で開催された[[アジア鉄道首脳者会議]] (ARC=AsisnAsian Railways Conference) 出席者のため専用臨時列車が東京 - [[京都駅|京都]]間で運転された。
 
1963年9月17日に[[昭和天皇]]と[[香淳皇后]]は[[岡山大学病院|岡山大学付属病院]]に入院中であった四女[[池田厚子]][[見舞い]]の帰途、上り「第2富士」のクロ151-12区分室に[[岡山駅|岡山]]→大阪間で乗車した。これは前日往路のキハ80系特急「[[みどり (列車)|みどり]]」(キロを含む後部3両増結)とともに昭和天皇夫妻が営業運転列車に初めて乗車したものである。また1964年には、香淳皇后が東京 - 岡山間で2月15日の下り「第1富士」、翌16日の上り「第2富士」のクロ151形区分室に乗車している。