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信綱は信玄に将来を嘱望されるほどの豪勇の持ち主で、弟の昌幸も信綱の勇を尊敬していたという。甥(昌幸の次男)の[[真田信繁]]に信綱と同じ「左衛門」を名乗らせているのは信綱のように剛勇になってほしいという昌幸の期待があったといわれる。
初陣である信濃[[小岩
岳
嶽
城]]攻めで一番槍の功名を挙げるなど豪勇の士であり、「若年より武勇抜群、信玄・勝頼両代のうち、攻城、野戦、その功すこぶる多し」と評されている(『真田家譜』)。
== 脚注 ==