「金剛峯寺」の版間の差分

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*'''三鈷の松''' -金堂と御影堂の間にある三葉の[[松]]。松の根が参拝者に踏まれないよう二重の柵で囲まれ、[[赤松]]と一緒に植栽されている。松は単体では生育しにくい性質を持つためにあえて、植栽している。空海が、[[恵果]]から密教を受法後、[[大同 (日本)|大同]]元年([[806年]])、[[中国]]・[[寧波]]の浜から、「密教を弘通するため」の地を求めんと願いつつ、三鈷杵(飛行三鈷杵)を投げた。後に嵯峨天皇より、勅許を得て高野山を下賜され、伽藍を造営の途中に、空海が松に掛かった[[三鈷杵]]を見つけ、高野山を「修禅の道場」とするのに相応の地であると確信したという伝説がある。空海の霊跡とされる。この[[松葉]]は、三鈷杵と同じく三股に別れている。現在の「三鈷の松」は七代目で、[[平成]]期に植え替えられた。枯れたときのために同じ株から分けた松を別に育成している。松は[[常緑樹]]が多いが、高野山の「三鈷の松」は秋から冬にかけて落葉するので、「再生」の象徴される。落葉した三葉の松葉は黄金色をしており、身につけていると「金運」を招く縁起物として、また、「飛行三鈷杵」の霊験にあやかるため、「お守り」とするために探し求める参拝者もいる。<ref>[[中外日報]](2011年12月6日)</ref>
[[File:Konpondaitou0ɨ.jpg|thumb|200px|right|根本大塔]]
* '''根本大塔''' - 伽藍の中心として高野山開創当から着手され887年に完成、現在の塔は[[1937年]](昭和12年)の空海[[入定]]1100年を記念して再建したもので1階平面が方形2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。内部正面の[[梁 (建築)|梁]]に本尊[[昭和天皇]][[宸筆]]の[[勅額]]「弘法」が掲げられている。中央に丈六の胎蔵大日如来像、その四方に金剛界四仏<ref>阿閦(あしゅく)・宝生(ほうしょう)・無量寿(むりょうじゅ)・不空成就(ふくうじょうじゅ)の4如来</ref>を安置する。塔内の柱などに描かれた仏画は堂本印象の筆である。し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは、両者は根本的には1つだという、空海の思想を表したものといい、「根本大塔」という建物名もこれに由来するという(「金剛界」等の密教用語については別項「[[両界曼荼羅]]」を参照)。そして内部正面の[[梁 (建築)|梁]]には[[昭和天皇]][[宸筆]]の[[勅額]]「弘法」が掲げられ、塔内の柱には十六大菩薩画像、壁面には真言八祖像が[[堂本印象]]によって描かれている。
*'''大塔の鐘''' - 大師発願で二世真然の代に完成。現在の鐘は「高野四郎」と呼ばれ、1547年に鋳造され約6トン直径7尺である。1日5回、計108回突かれる。鐘楼は鉄筋コンクリート製。
*'''御供所''' - 伽藍の納経をしてもらえる。