「丸山城 (石見国)」の版間の差分

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reject_y = 慶長5年([[1600年]])頃?|
remains = 曲輪、石垣、礎石、竈跡、堀切等|
cultural asset = 無し県指定[[史跡]]|
rebuilding things = 無し|
location = {{ウィキ座標2段度分秒|34|58|53.2|N|132|24|22.3|E|scale:10000}}|
location = |
地図=Japan Shimane|
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ラベル=丸山城|
アイコン=日本の城跡|
ラベル位置=bottom
}}
 
'''丸山城 (石見国)'''(まるやまじょう)は、[[石見国]][[邑智郡]](現・[[島根県]]邑智郡[[川本町]]三原)にあった[[日本]]の[[城]]。島根県指定[[史跡]]<ref>[http://www.town.shimane-kawamoto.lg.jp/doc/kyo_bunka_rekishi/kawamototyousiteibunnkazai 「川本町指定文化財解説」]川本町公式HP</ref>
 
== 概要 ==
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=== 構造 ===
[[ファイル:Maruyamacastle01.JPG|サムネイル|石見丸山城主郭よりの展望]]
標高428m428メートルの円山頂上部を主郭とする連郭式の中世[[山城]]で、石見国では非常に珍しい総[[石垣]]の[[城郭]]であった。最高所には[[本丸]]、その下に[[曲輪|西の丸]]が控えており、[[掘立柱建物]]跡の痕跡や[[かまど]]跡があることからこの本丸と西の丸が城主らの平素の居住空間であったと推定されている。
 
防衛施設としては[[虎口]]やそれに付随する門跡や[[堀切]]があり、郭も10程度は認められるが、全体的に石垣の高さは低い。[[]][[天守閣]]等の防衛施設も存在せず、[[安土桃山時代|安土桃山期]]の城郭としては縄張りも単調である。これは山上にありながらも居館としての役割を重視されていたためと推測される。
 
==脚註==
{{Reflist}}
 
== 参考資料 ==
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*石見の城館跡 島根県教育委員会
*[http://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/event/saninshisekigaidobook.data/guidebook01new.pdf - 「山陰の城館跡」パンフレット]
 
 
{{デフォルトソート:まるやましよう}}