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[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]がスペインの王女[[マリー・テレーズ・ドートリッシュ]]との結婚のため、アビニョンを訪れたときに、随行した廷臣たちの肖像画を描くことを依頼され、枢機卿[[ジュール・マザラン]]に気に入られ1660年にパリで働くように命じられた。1663年に[[王立絵画彫刻アカデミー]]の会員となった。1664年にアカデミーの教授となり、、副学部長になり、1666年には学部長になった。弟のピエール・ミニャールとアカデミーの院長、[[シャルル・ルブラン]]との軋轢においては、ルブランに味方した<ref name=mig/>。
 
息子の[[ポール・ミニャール|ポール]](Paul Mignard:1639–1691)とピエール(Pierre II Mignard:1640-1725)も画家となった。
 
== 作品 ==