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1914年、[[東京府]](現[[東京都]])に出生。[[長崎県]]人・松永東の長女<ref name="taisyu12">[{{NDLDC|1207513/353}} 『大衆人事録 第12版 東京篇』]東京630頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。</ref>。生母は東京の上田宇多<ref name="jinji11">[{{NDLDC|2127121/866}} 『人事興信録 第11版 下』]マ140頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。</ref>。[[1934年]]、[[明治大学]]専門部女子部法科を卒業<ref>[{{NDLDC|1452695/259}} 『明治大学一覧 昭和10年』]186頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。</ref>。
 
[[1960年]][[埼玉県第2区 (中選挙区)|埼玉県第2区]]より、衆議院選挙に立候補し当選<ref>[{{NDLDC|1351318/72}} 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』]129頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月14日閲覧。</ref>、[[埼玉県]]初の女性[[代議士]]となった(当選3回)。[[厚生省|厚生]][[政務次官]]、[[郵政省|郵政]][[政務次官]]などを歴任した。
 
2015年2月6日、[[老衰]]のため死去<ref name="nikkei20150209"/><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH293S9DH29UTFK001.html 松山千恵子さん死去 郵政政務次官など歴任] 朝日新聞 2015-2-9</ref>。100歳没。贈[[従四位]]<ref>2015年3月6日官報</ref>。自宅は埼玉県川越市通町<ref name="nikkei20150209"/>。
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* 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937-1939年。
* 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
* 『衆議院議員総選挙一覧 第29回』衆議院事務局、1961年。
* 平松伴子『流れるままに 埼玉初の女性代議士松山千恵子の軌跡』八千代出版、2002年。