削除された内容 追加された内容
Soymouse (会話 | 投稿記録)
6行目:
 
===三帝協商===
しかしその後、大国間の勢力均衡崩壊を恐れたビスマルクは[[1881年]]二国間の勢力調整をした上で再度三国間の'''三帝協商'''(「三帝同盟」とも)を発足させるが、そこでもロシア中心の[[汎スラヴ主義]]とオーストリア中心の[[汎ゲルマン主義]]の対立が消える事はなかった。[[1887年]]、[[大ブルガリア公国|ブルガリア]]の君主に親オーストリアと見られていた[[フェルディナンド1世 (ブルガリア王)|フェルディナント]]が即位すると、三帝同盟はロシアの更新拒否により解消された。露仏接近を恐れたビスマルクは、同年[[独露再保障条約]]を締結し、この条約は[[1890年]]まで存続した。1890年、この条約の満期に当たり、ロシア側では更新を望んだが、ビスマルク引退後のドイツはこの更新を拒絶、まもなくロシアはフランスと[[露仏同盟]]を結ぶ。こうしてビスマルク体制は崩壊を始め、最終的に[[第一次世界大戦]]に至るのである。
 
==参考文献==