「リヤカー」の版間の差分

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[[江戸時代]]以来の大八車の欠点としては、次のような点があった。
* 大きな木製の[[スポーク]]型車輪(接地面を鉄で巻いた)は製造時の精度・強度確保を木工職人の熟練技術に頼っていた。破損時の修繕には手間が掛かり、またフレーム共々丈夫な木で組み上げられていたため、重かった。
* 左右輪が車軸で連結されて荷板床下を通る原始的構造の弊害。[[重心]]が高く横転しやすいうえ、内輪差の吸収手段もないため、左右旋回時は牽き手が車輪を引きずるように力を込めて動かねばならず、車輪の磨耗原因にもなった。
* 軸受けは堅い木の[[すべり軸受|平軸受け]]で、専ら[[油脂]]補給による潤滑に頼っていたため、停止状態からの引き出しが重かった。特に貨物積載時の引き出しは困難であった。
* 振動が激しく、物によっては荷痛みのおそれがあったため、輸送できる貨物が限られた。
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* 金属製のスポーク車輪は大正時代、すでに日本国内の自転車工場で大量生産されていた。軽量なうえ、車体からの脱着も簡単で、日本各地に出現していた自転車店での修繕が容易となった。ゴムタイヤは防振に役立った。
* 左右輪が独立していて長い車軸がないため、車輪中心より低い位置に荷台床を配置でき、重心が低くなって安定すると共に旋回も自由となり、貨物積載量も増した。
* [[ベアリング]]の使用によって引き出し抵抗が小さくなり、牽引が容易になった。
 
[[大正時代]]後期からは小口輸送向けに、小型トラックの一種である[[オート三輪]]が都市部から普及し始めてはいたが、当時の日本における中小零細事業者の多くにとっては極めて高価なもので、容易に導入できなかった。対してリヤカーは、市井の零細な工場でも製作可能で、ごく安価な存在であり、本格的な[[モータリゼーション]]以前であった[[太平洋戦争]]前後の長期間、手牽き、もしくは自転車牽引などで、小口輸送の簡便な手段として極めて広範に用いられた。
 
しかし、戦後の[[モータリゼーション]]進展で[[自動車]]が普及するにつれ、一般的な小口物流の手段としては1950 - 1960年代以降、速力や効率で勝るオート三輪・[[軽トラック]]などに取って代わられ、次第に衰退した。それでも軽便さゆえの長所があり、過去に比べれば活用範囲が狭まったとはいえ、敷地内作業用や大都市圏での小口配送など、21世紀に入ってからも日本国内で広く実用に供されている。